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「お前代われ」入団3年目で重症化した岩本勉の“イップス”…克服につながったコーチからの“意外なアドバイス”とは

『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』より #1

2021/10/10
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順調にエースへの階段を登っているつもりだった

「あんな開放的なアメリカでイップスになったんですよ」

 それは練習試合だった。マウンドに立っていると、突然予兆もなく制球が乱れた。太陽が燦々と照りつけている。そんな陽気なグラウンドで、岩本の乱調が始まった。とにかくストライクが入らない。塁上に走者が溜まっていく。投手コーチがタイムをかけて、マウンドまでやって来た。

「How doing?」

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 そう聞いてくれたが、イップスだと言えずに、指がスリップしたのだと嘘をついた。

「暴投ではなく球がばらけたんですね。制御が利かなくなったんです。ちびっとるなあという心理になってしまった」

 乱調は戻らず途中降板したが、これで一気に評価は下がってしまった。アメリカのチームから日本ハムに送る評価表があったが、何人か行ったチームメイトの中で岩本はかなり低かった。将来性、実力など事細かに項目別に5段階評価されたが、殆どの評価点が3や2だった。ここに〈イップスで投球困難〉とも書かれてしまった。アメリカの指導者はすぐに岩本がイップスだと見抜いたのである。そのコーチは言った。

「お前は体が強いから、何かのきっかけを掴んだらいいけどなあ」

 その助言通りになるのは、ずいぶん後になってからだ。このときはイップス地獄の序章に入ったばかりだった。

 自分では順調にエースへの階段を登っているつもりだった。高卒で入り、2年目に1軍でわりとよく投げた。アメリカへも派遣された。開幕1軍も目の前に来ていた。だがそのサバイバルレースに負けて、自分を鼓舞するためさらに猛練習を課したが、心に焦りがあった。無理が祟り、腰を痛めてしまった。

 そこに相まってイップスが深刻化した。プロ3年目、4年目と1軍登板はゼロである。2軍暮らしが続いていたが、イップスが手の付けられない状態になっていた。

©iStock.com

イップス悪化の原因は

 悪化した直接の原因は、2軍でのバントフォーメーションで内野手の舌打ちが頻繁にあって、それを気にしたからだ。2軍投手陣の心理に翳を落とし、その中でもっとも岩本が影響を受けてしまったのである。

 バント処理の練習は、投手が投げて、打者がバントする。内野手も同時にフォーメーションプレーで前進したり、ベースカバーに入ったりと全員が動く。そのフォーメーションを完成させるには投手は絶対にストライクを投げて、打者にバントさせなければならない。

「もし僕がボールを投げてしまったら、野手はまた一からやり直さなければならなくなる。こんなに野手が動いているのにと意識すると、コントロールが利かなくなるんです」

 そんな経験が積み重なって、いつしか深刻な状況になった。ただこの体験がなくても、遠からず深刻な症状になっただろうと分析する。それは彼の性格である。