1ページ目から読む
4/4ページ目

 一見矛盾するが、根底では通じる部分がある。それは彼が当初から言っている開き直りである。彼は1つの喩えを出した。幼いときの喧嘩である。喧嘩は腕力と気性の強い者が勝つ。だが唯一例外として、力がなくても勝つケースがある。それは早く泣いた奴がやけくそになって歯向かったときである。すべてを捨てて向かっていくから怖いものはない。

「幼いとき、喧嘩怖いじゃないですか。だけど泣いたら強い奴がいますよね。それですよ。僕も泣きながら投法ですよね。そうやってがむしゃらに投げまくったんです」

 それが徐々に形になりつつあるときだった。ある投手コーチが岩本の動きに目を留めた。

ADVERTISEMENT

野手のように投げてみろ

 岩本がプロ4年目のときだった。これまで彼は2年目に1軍で5試合に登板しただけで、いつ戦力外通告をされてもおかしくはないと考えていた。幸い解雇を逃れて岩本は秋季キャンプに参加した。そこでのフィールディングの練習のときである。このとき1軍投手コーチには、巨人のV9時代に左腕のエースとして20勝を2度挙げた高橋一三がいた。

 岩本は投球に支障があったが、1塁への送球は無難にこなすことができた。イップスの特徴はある一つの動きに出るのである。ソフトバンクの著名な内野手は1塁への送球は支障がないが、アウトを取ったときの緩い速度でのボール回しができない。それをカバーするため捕ったらすぐに投げるという方法を続けている。

 高橋は岩本の制球難を知っていたので、難なくフィールディングをこなす岩本を見て、一つの示唆を与えた。守備練習が終わったとき、高橋は岩本をブルペンに呼んだ。そこに捕手が座っていた。高橋は、マウンドにいる岩本にセットポジションの姿勢を取らせた。

「いいか、これからお前にびゅっと投げるから、捕ったらフィールディングのように捕手に投げろ」

 フィールディングの感覚で、捕手に投げさせようとしたのだ。これがきれいに捕手のミットに入り、捕手は「いいぞ!」と声を上げた。いい調子で繰り返しているうちに、高橋は投球モーションをしながら投げてみろと言った。

 高橋も現役時代はコントロールがよくなかった。常にカウントが1ストライク3ボールになり、一三の名前の通りだと揶揄された。だが剛腕で沢村賞を2度、ベストナインも受賞した。自分の姿を岩本に重ね合わせたのかもしれない。高橋は助言した。

「お前、阪神の江本孟紀ちゅうサイドスローで投げる投手がおるだろ。彼をイメージして野手の送球と同じようにここで投球してみろ」

 1塁への送球をイメージしてサイドスロー気味に捕手に投げたら、自分でも思いのほかいい球が行った。それは岩本自身も驚くくらいに素晴らしい球だった。

 受けた捕手は言った。

「これで飯食えるじゃん!」

 岩本はクセ球だったが、どんなにボールを投げ続けても耐えられる体力があった。そのために自分のスタイルを作りだすことが可能だったのである。やがてきちんとした投球フォームから捕手に向かって投げることができるようになった。

【続きを読む】「本来の打ち方は100パーセント無理です」それでも横田真一が“イップスになってよかった”と語るワケ