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「イップスになる性格はあると思うんです。ざっくり言うと、気遣いの人、大阪弁で言う気い遣いですね。どっちか言うたら僕は優しいほうやと思いますよ。そりゃイケイケに見せていますけど、それは虎の威を借る何とかだと思ってください。よくしゃべる性格を利用して、先にいろんなことを話して自分のパーソナルスペースを作る。あの1、2、3、まいどっ!! は、当時のパ・リーグの人気事情もあったんです。まあイップス持ちは性格のいい人が多いんです」

 岩本は苦笑した。彼の人知れぬ苦労が窺えた。

ボールが捕手に届かない!

 岩本が一番深刻だったのは3年目、4年目だった。2軍の練習場に屋内のブルペンがあった。6つほど作られているが、それぞれの境目に防球用のネットが吊るされている。さらに端の2つのブルペンは構造上、極端に屋根が低く作られていた。岩本はイップスのとき、防球ネットや低いほうの天井に球を思い切りぶつけていた。捕手にボールが行ったときも、ワンバウンドしたり、捕手がジャンプして捕るほど高めに行ったりすることもあった。ある捕手はバウンドのためにわき腹を切った。そんなことが続いたある日、彼がブルペンに行くと、捕手たちが一斉にいなくなった。岩本のボールを受けるのが怖かったからだ。

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 グラウンドの打撃練習で投げれば、投げたボールがケージの外に行く大暴投もあった。打撃練習の相手を務めるために、マウンドに登ろうとしたときだ。そのとき誰もケージの中で打とうとする打者はいなかった。球がどこに来るかわからない恐怖のためである。しまいには打撃コーチが岩本を強い剣幕で𠮟った。

「お前代われ。バッターが怪我するだろうが」

 それほどまでに制球に難があったのだ。

 岩本の周囲にもイップスに苦しむ選手が何人もいた。ある者は悩んで円形脱毛症になって辞めていった。ノイローゼの症状になった選手もいた。彼自身も球場に行くのが嫌になっていた。

 イップスについて笑うに笑えない逸話がある。通常キャンプでは4、5人の投手が並んで投球練習を行う。イップスで制球に難のある投手はブルペン捕手の構えるミットに投げることができない。思い切り投げたら、隣のブルペン捕手のミットにきれいにストライクで入ったケースがあった。かと思えば、ブルペン捕手にもイップスは多い。スタッフという立場のため、選手よりも一歩引いた立場になる。そのせいで主力投手に返球するとき、腕が萎縮して投げることができない。これも思い切り返球したら、隣の投手のグラブに見事に入ったという話がある。

 岩本はどうか。

「イップスは性格がすごく重要なのだと思いました。今思い返せば、そのとき自分の弱点を認める勇気、それが必要だったのかなと思います。一方で“えー! チクショウ”と喧嘩のつもりでね、これで治らなかったら辞めてやると思って徹底して投げ込みもしました」