20代から30代にかけて、多忙な芸能生活を過ごしてきた加藤晴彦さん。「仕事をセーブする」という決断を経て、40代となった現在は、家族にも恵まれ、家事も育児も楽しんでいるといいます。「今は家族との時間を大切にしたい」と語る加藤さんが、今後取り組んでみたいこととは。加藤さんの「これから」について聞きました。(全3回の3回目/#2から続く)
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福山雅治さんが“憧れ”だった
――20代、30代の精神的に大変だった時期には、やはり地元の友達以外には、正直な思いを相談することはできなかったですか。
加藤晴彦さん(以下、加藤) あまり言えない話ですからね、これって。下手に周りの人に話して「でもいいじゃん、普通じゃできないことをたくさんやれて」って言われたら、終わりですから。でも地元の友達は、10代の頃の、何もなかったときから知っているので、「そうか、とにかくこっち来るか」って言ってくれて、それでそいつの家に泊まったりして。かといって、芸能界で仲の良い人はいなかったとか、友達を作らないようにしていたとか、そういうことでもないんですけどね。
――そもそも加藤さんにとって、芸能界に入る前から「この人は憧れだった」という方はいらっしゃるんでしょうか?
加藤 もともと、そんなにテレビやラジオが大好き、というタイプではなかったんですけど、そんな僕でも福山(雅治)さん……マシャ兄のラジオだけは東京に来る前からずっと聞いていました。オールナイトニッポンですよね。あと、コンサートも観に行っていました。なので、芸能界に入ってから、まさかあんなに仲良くさせていただけるなんて、と……。
ラジオでのコラボは「夢のようなこと」
――福山さんと最初にお会いされたのは、いつ頃ですか?
加藤 20代の中盤だったと思います。僕が臨時でニッポン放送のラジオをやったときに、スタッフの方から「今、別のフロアに福山さんがいるよ」と言われて。その人は、僕が福山さんのファンだと知っていたんです。それで挨拶に行ったんですけど、僕はもう大緊張でした。「おー! 福山さんだ!!」って(笑)。
それがきっかけで仲良くさせていただいて、本当にしょっちゅう飲みに、旅行に連れて行ってもらいました。2人でスナックに行って、カラオケを歌ったりもして。そこで、僕がわざとマシャ兄のヒット曲じゃなくて、デビュー当時の曲を入れるんです(笑)。マシャ兄もその頃の曲はちょっと恥ずかしいのか、「やめろよ!」って言われるんですけど、そうやって笑いながら2人で熱唱したり、あとCOMPLEXの曲を歌ったりしました。それは今でもよく覚えてますね。
――加藤さんと福山さんが同じマンションに住んでいた、と聞いたことがあるんですが、それは本当ですか?