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「ガンプラを仕入れに行くぞ!」で“軽自動車1台分”の金額を投資…「自動車ディーラー兼プラモデル屋」が山形で花開いている話

2021/10/09
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 国産車ディーラーで営業マンだった金野社長は、28歳で独立、中古車販売店を立ち上げた。持ち前の営業力で売上は右肩上がりに。事業拡大にともなって社員も増やした。自分自身がクルマ好きだったこともあって、採用する人材は必然的に自動車を趣味とする人が多かった。気付けば5年で山形市内と鶴岡市内に2店舗を構え、従業員は6名まで増えた。

街からガソリンが消え、客足もピタリと止まった

 しかし、東日本大震災で状況が一変する。

 幸いにしてお店に大きな被害はなかったが、街ではガソリンがなくなり、クルマを買いに来る気持ちに余裕のある人は誰もいなかった。店舗は3月末まで休業し、4月から再開したものの、客足はピタリと止まってしまった。

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「とにかくヒマになりました。でも、おかげで従業員と会話をする時間が増えました。起業してからずっと忙しく走り回っていたので、じっくり膝をつき合わせて社員たちと話す機会がなかったんです」

うずたかく積み上げられたプラモデルたち ©竹内謙礼

増えた雑談で見えた「ガンダム」の光

 従業員たちとの雑談が増えた金野社長。しかし、ここである共通の話題があることに気付く。それが「ガンダム」だった。

 当時、従業員の年齢は20代から40代と幅広かった。本来であれば、噛み合う話題などあるはずがない。しかし、ガンダムは様々なシリーズが時間をずらしてリリースされているため、それぞれの年代でお気に入りのガンダムが存在していた。自分たちの年代では知らなかった新しいガンダムの話題を聞くことができるようになり、いつの間にか空き時間になれば、従業員たちがガンダムの話をするようになっていた。

コロナ禍で人気のガンプラが不足。現在は30箱ほどの在庫という (写真提供:アローズ)

「ちょうど『ユニコーンガンダム』が映画館で上映されていた時期だったんです。ユニコーンガンダムは過去のガンダムシリーズの話がすべて集約されているので、みんなで共通の話題として盛り上がることができました」

 6月を過ぎた頃には震災の影響もなくなり、業績は少しずつ回復に向かっていた。しかし、経営自体は本調子ではなく、金野社長は新たな販促企画を仕掛けたいと思っていた。会議でその旨を伝えたところ「ガンプラを売ろう」と従業員から突飛な意見が飛び出した。

「震災以来、従業員たちに元気がなかったんです。でも、ガンプラの話をするときだけは元気になる(笑)。それだったら、まずは従業員を元気づけるためにガンプラの販売をやってみようと思ったんです」