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「羽生に勝たないと一生こんなものしか…」新潟から上京した近藤正和七段は生のナスをかじった

「羽生に勝たないと一生こんなものしか…」新潟から上京した近藤正和七段は生のナスをかじった

近藤正和七段インタビュー #1

2021/10/09
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――奨励会の初受験は小学校4年生。2回落ちて、合格は小学校6年生でした。

近藤 5年生の3月から東京に出て、10月から始まった奨励会試験に6級で合格しました。このとき内弟子として約1年間、多田佳子先生(元女流棋士、女流四段)のところでお世話になりました。私を預けて両親が帰郷するとき、母は目に涙を溜めていました。

女流棋士の家に住み、将棋漬けの毎日

――内弟子は師匠の家に住むことが多いので、珍しいですね。

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近藤 師匠は長老でしたからね。多田さんはどこの馬の骨かわからない、やんちゃな田舎少年を引き受けてくださり、感謝しています。平日は小学校にいって、帰ってきたらランドセルを放り投げて新宿将棋センターや渋谷の高柳道場(高柳敏夫名誉九段の道場。弟子に中原十六世名人など)、池尻の村山道場で将棋を指していました。

近藤は鉄道オタク(2010年にJR全線乗車を達成)、ジャズ好きとして知られる。即興で奏でられる軽快なメロディーは、ゴキゲン中飛車の指し回しに通じるものがあるだろう。自戦記集『ゴキゲン中飛車で行こう』は、デューク・エリントンの「Take the A Train」からとられた

 村山道場は村山幸子先生(元女流棋士、女流二段)のご主人が運営されていて、後に森内さんから「コンちゃんに挨拶しても無視されたから、怖かったです」といわれたけど、僕は田舎少年だからビクビクしていたんじゃないかな。村山先生は私のことを「まーくん」と呼んでかわいがってくださり、土曜日に泊めていただいて、夕飯もごちそうになりました。猫も同じ刺身を食べていて、ずいぶんいいもの食ってるなーと思ったものです。

――内弟子生活は、子ども同士の関係が難しいと聞いたことがあります。

近藤 多田さんのお子さんは僕の1個上、下にいらっしゃいましたけど、一緒に漫画の『パーマン』(藤子・F・不二雄)や『鉄腕アトム』(手塚治虫)、テレビを楽しんでいました。どうしても金曜日20時からの「新日本プロレス」を見たかったので、多田さんにわがままをいいましたね。アントニオ猪木、藤波辰爾、長州力、ラッシャー木村、アニマル浜口の黄金期ですよ。小学校もプロレスで遊んでましたし。

「入会から1年経っても昇級できなかったときは退会」と言われ…

――将棋漬けの生活が実って、6年生の秋に奨励会合格です。

近藤 1次試験は6連勝、2次試験は2勝1敗で通過しました。同期でプロになったひとりが村山さん(聖九段)なんだけど(※2)、僕が四段昇段したあとに「近藤くんも昔は強かったんだねぇ」といわれました(笑)。

※2 1983年12月新入会で棋士になったのは近藤正和、村山聖、中川大輔、畠山成幸、櫛田陽一、勝又清和。女流棋士は中井広恵。村山聖の四段昇段は1986年11月で、近藤は当時奨励会2級だった。

――入会当時、羽生善治九段は13歳で1級でした。

近藤 同級生の奨励会員の家にいったら、八百屋でキュウリとナスを買ってきてさ。調理してくれるのかなと思ったら、水で洗って生のまま味噌と一緒に出してきて、「近藤な、羽生に勝たないと一生こういうものしか食べられないんだぞ」といわれて食べたこともありました(笑)。