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「羽生に勝たないと一生こんなものしか…」新潟から上京した近藤正和七段は生のナスをかじった

「羽生に勝たないと一生こんなものしか…」新潟から上京した近藤正和七段は生のナスをかじった

近藤正和七段インタビュー #1

2021/10/09
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師匠から「飛んだり跳ねたりと雑だなぁ」の言葉

――いまの奨励会は日曜日と決まっていて、高校だけじゃなく大学を卒業する奨励会員・棋士も増えています。

近藤 僕が奨励会幹事だったときに、ほかの幹事と相談して例会を日曜日に固定しました。プロになれない子がいたらどうするんだという気持ちがありましたから。

――進学率が上がると一緒にいる時間は少なくなりますし、記録係などで顔を合わせる機会が減るので、昔に比べると関係は希薄になったかもしれませんね。

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近藤 それはあるだろうね。僕らのときはケンカもよくあったけど、いまはそういうことないでしょう。

――高校3年生の3月、卒業間近に三段に昇段されます。地方在住ながら比較的順調だった印象です。

近藤 そうかもしれないね。奨励会時代は香落ちは上手も下手も好きで、勝率7割ぐらいありました。平手だと荒い指し回しが、香落ちだと大さばきでいい勝負になるので、僕のいい加減なよさが出たんでしょう。原田師匠から「お前の将棋と字は、飛んだり跳ねたりと雑だなぁ」といわれましたけど(笑)、確かに字はね、はらいも気持ちよいからつい力が入って、癖字なんだ。

王座戦の▲中原-△近藤正戦で、故・河口俊彦八段は近藤の将棋を次のように評している。「棋風はよく言えば変幻自在。言い方を変えれば出たとこ勝負の将棋だが、往年の名棋士、花村元司を思い出させる」(『棋士の才能―河口俊彦・将棋観戦記集』マイナビ出版、2017年)

このままじゃだめだと思って戦法を変える

――有名な話ですが、近藤初段-屋敷伸之初段(現九段)の対戦で、先手の近藤初段が5筋位取り中飛車を指しています。

近藤 これはゴキゲン中飛車ではないけど、当時は振り飛車なら何でも指しました。居飛車穴熊よりも急戦が多かったから、最後は美濃の深さで勝てたんです。初段までは居飛車正攻法でしたけど、屋敷、深浦(康市九段)、郷田さん(真隆九段)を見て、強すぎるからこのままじゃだめだと思って戦法を変えました。

 そのときにヒントになったのが、相撲です。下の人間が横綱に勝つときって、がっぷり四つじゃない。離れて取る、突く、いなす、足蹴りとかなんですよ。僕もこういうスタイルで、ちょっと乱戦気味に自分のペースに持ち込まないとだめだなと。寺尾(元関脇寺尾、錣山親方)を応援していましたね。

――なるほど。戦い方を真似したわけですね。

近藤 そうです。当時は定跡を突き詰めるというよりも、力がぶつかり合う将棋がほとんどでしたからね。1990年に無事に高校を卒業し、再び上京しました。初の三段リーグが春から始まったのです。

写真=杉山秀樹/文藝春秋

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