プロになる最後の関門、三段リーグ。1年に2回行われ、基本的に上位2名の計4名が四段になる狭き門だ。近藤は18歳で三段リーグに参加し、年齢制限ギリギリの25歳でプロ入りしている。

「ゴキゲン中飛車」の名は、『将棋世界』の元編集長で現在は作家の大崎善生さんが「コンちゃん、いつもゴキゲンだから」とつけた。大駒が伸び伸びと働き、自由度の高い戦法の性質ともマッチしたネーミングだった。

 いくらプロで指されている優秀な戦法でも、あまりに高度ではアマチュアに難しくて流行らない。だが、ゴキゲン中飛車はシンプルな駒組みと積極的な戦いが支持され、大流行した。

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 さて、なぜ近藤はゴキゲン中飛車を指すようになったのか。それは2回の頭ハネで四段昇段を逃し、棋士をあきらめたからだった。

近藤正和七段

8連勝スタートで決まったと思いましたよ

――高校卒業と同時に上京し、春から三段リーグがスタートします。1期目の第7回(1990年前期)三段リーグは惜しくも3位、昇段は佐藤秀司(現八段)と杉本昌隆(現八段)でした(※1)。

※1 現在の次点2回で昇段する制度は第20回(1996年度後期)三段リーグからで、当時はなかった。

近藤 最終日の1局目、杉本さんと勝ったほうが四段昇段の勝負に負けちゃったんです。杉本さん、いま藤井聡太さんの師匠としてテレビによく出ているでしょ。顔を見ると、当時のことを思い出してがっかりしちゃうんだよな(笑)。

――約30年前のことでも、当時の気持ちがよみがえるんですね。

近藤 ショックだったもん。8連勝スタートで決まったと思いましたよ。12勝2敗の2番手で、残る4戦が藤井猛(九段)、深浦(康市九段)、杉本、佐藤秀司。「藤井と深浦が強いけど、どっちかには勝つだろう」と軽い気持ちで臨んだけど、それがいけなかったんだな。2連敗しちゃって、特に深浦戦は必勝の局面で自滅した。あとでタイトルいっぱい獲るんだとわかっていれば、もっと気を引き締めていたでしょう。

 結局、杉本さんに追いつかれちゃった。僕のほうが若いから勝つような気もしたんだけどな。居飛車から穴熊に組もうとしたら、杉本さんが四間飛車から藤井システムのような出だし(居玉ではなく3九玉型)をされたんですよ。それで危険な匂いを感じて居飛車穴熊を断念したけど、負けちゃって昇段の目は消えた。

「お前もついてないな。俺と当たっていれば勝てたのに」

――その棋譜は『週刊将棋』に掲載されて、藤井猛九段が見ているんですよ。居飛車穴熊が未完成のうちに仕掛ける手順を編み出すヒントになり、後の藤井システムにつながったそうです。

近藤 やっぱりあの将棋だったのか。あの将棋が3人の運命を分けたんだね。藤井さんは竜王獲ったしなぁ。杉本戦が終わった後にぼーっとしていたら、伊藤能さん(七段)が「お前もついてないな。俺と当たっていれば勝てたのに」と声をかけてきましたよ。それで一気に悲しくなっちゃった。