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 でもね、だからといってめちゃくちゃ研究したり、棋譜を並べたわけじゃない。僕はフィーリングで指すタイプだから。自分が勝った将棋を並べて、ゴキゲンになって対局に臨むだけ。当時からちょっと勝負師じゃないんだな(笑)。

作戦や勝負術を吸収するために記録係をたくさんやった

――研究会とか練習将棋はやらなかったんですか。

近藤 皆が三段のときに、ひとつやったかな。メンバーは藤井猛、行方(尚史九段)、川上猛(七段)、松本佳介(六段)、田村(康介七段)。1局目はちゃんと指すんだけど、昼食の焼肉でフィーバーしちゃったり、楽しくやってました(笑)。

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――青春ですね(笑)。アナログな時代の勉強ですから、ひたすら自分が指した将棋をひとりで研究したんでしょうか。

近藤 そうです。ほかに記録係をたくさんやりました。定跡を勉強しようというよりは、作戦や勝負術を吸収するためですよ。当時は序盤がそんなに整備されていないし、作戦勝ちになっちゃえば相手もとっさに対策をひねり出せずにそのまま押し切りやすかったから。

 あとは一流棋士と同じ空気を吸う事ですよね。いくら勉強しても谷川名人(浩司現九段)になれるわけじゃないけど、記録で同じ対局室にいれば何かを得られるんじゃないかと思っていました。なるべく上の世代の対局を選びましたね。羽生さん(善治現九段)とかの同年代はうらやましさがあるし、年下に「先生」といってお茶を出すのは嫌だったから。

プロになれたのは運がよかった

――記憶に残る対局はありますか。

近藤 A級順位戦で最終日のピリピリ感はいまでも覚えてますね。あとは郷田さん(真隆現九段)が谷川先生をくだして、王位を獲得した一局です。

――1992年の第33期王位戦七番勝負第6局ですね。四段でのタイトル獲得は史上初でした。

近藤 「この前まで郷田さんも奨励会だったのに」と複雑でした。郷田二段を近藤初段が負かして三段昇段を止めたこともあったのに、郷田さんが何でここまで強くなったのかはわからなかった。そこが勝負師としては甘いんでしょう。

 プロになれたのは運がよかったです。三段リーグだけではありません。入会試験は苦戦しましたし、多田先生(佳子女流四段)や村山先生(幸子女流二段)が東京で面倒を見てくれなかったら、いまの私はありません。入会1年で5級に昇級できなかったら退会する約束を父としていましたから、いつ奨励会を辞めても不思議ではなかった。

 いま振り返ると昭和の温かさに支えられ、自分なりに一番一番を積み重ねて、たまたま棋士になれたんだなと思いますよ。

写真=杉山秀樹/文藝春秋

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