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特集観る将棋、読む将棋

PCは使わず、研究会もしない アナログすぎる棋士は“藤井聡太時代”の将棋界で何を思うのか

近藤正和七段インタビュー #3

2021/10/09

 1996年に四段昇段した近藤は、ゴキゲン中飛車を武器に戦ってきた。当時のデビュー連勝1位タイ記録となる10連勝で勢いに乗り、竜王戦6組ランキング戦で優勝。第29回(2001年度)に升田幸三賞を受賞する。2004年度(2004年4月~2005年3月)は37勝8敗(0.822)の好成績を残し、勝率第1位賞と連勝賞(14連勝)を受賞。順位戦はC級1組に昇級、朝日オープン将棋選手権でベスト8入りと大活躍した。2021年に六段昇段後公式戦150勝の規定を満たし、七段に昇段している。

 いま思えば、近藤が若手のときは、棋士が人でいられた時代だった。ひとりで盤に向かって研究し、じっくりと新戦法を育てて生きていく。定跡を自分の手で地道に作っていく楽しみと誇りがあった。将棋ソフトが発達したいま、それはもう叶わない生き方だろう。

「力戦中飛車」といわれたゴキゲン中飛車は戦法の優秀性が認められ、ゼロ年代に大流行した。定跡化が進み、同時に居飛車の対策も進化していく。2009年に登場した超速3七銀は、いまも強敵として立ちはだかっている。

 自分のゴキゲン中飛車から、みんなのゴキゲン中飛車へ。研究合戦に巻き込まれるなか、近藤は奨励会時代からほとんど勉強法を変えていない。いまもパソコンを持っておらず、ネット中継や将棋ソフト、棋譜データベースを使わないどころか、研究会もやっていない。ひたすら自分の棋譜を研究し、将棋を指すのは公式戦だけだ。

 2014年から今年春まで関東奨励会幹事を務めた。アナログな生き方を貫く棋士の目から、情報戦が激化する現代の将棋界や奨励会員はどう見えるのだろうか。

近藤正和七段

新戦法のきっかけは子どもからの手紙

――デビューしたときは角道を止める振り飛車が主流ですし、四間飛車の藤井システムも1号局が指されたぐらいでした。いってしまえば、振り飛車が平成の大進化を遂げる前です。ゴキゲン中飛車はどういう評価だったと思いますか。

近藤 変な中飛車と馬鹿にしていた人はいたでしょう。当時はゴキゲン中飛車と角道を止めた三間飛車を織り交ぜていて、徐々に中飛車一本になりました。

――デビューからの軌跡をまとめた『ゴキゲン中飛車で行こう』(2013年、マイナビ出版)にはふとした瞬間、例えば飲み会から帰って布団に倒れようとしたときに新構想や新手が浮かんで盤に向かったとあります。先手のゴキゲン中飛車を研究するようになったきっかけは、子どもからの手紙だったとか。新戦法のきっかけが手紙って、聞いたことないですよ。

近藤 本に「先手番のときは端歩でパスして後手番になりましょう」と書いたら、手紙に「パスにはパスされて困っています。どうしたらいいですか」と書いてありました。「俺も困るんだよな~」と思ったけど、何もできなかったら子どもに申し訳ないじゃない。それで初手▲5六歩を思いついた。でもプロとしては、縁台将棋みたいで恥ずかしい出だしなんだ。初手は▲7六歩か▲2六歩が基本でしょう。いまはコンピューターの裏付けがあるから何でもありだけど、当時は信念を持ってやるしかないんです。ほかのプロは何でもできるから、別に中飛車ができなくてもいいんだよね。

端に味付けしたら、受けに回られて完敗

――中飛車がメジャーになったきっかけは何でしょうか。

近藤 谷川先生(浩司九段)がゴキゲン中飛車で1000勝目を上げたからじゃないかな(2002年の第43期王位戦七番勝負第1局▲羽生善治王位-△谷川浩司九段戦、谷川が王位に復位したシリーズ)。あとは僕の勝率1位賞と連勝賞でしょう。周りから見たら「近藤が?」というのはあったと思う。でも戦法がよかったんだ。中飛車は無理攻めでも5筋を破ってしまえば、相手玉に近いから食いつきやすいじゃないですか。それが僕の終盤力をカバーしてくれた。