プロになって強くなったという実感はあまりない
――礼儀とかならまだしも、ひとりひとりの顔を見て接するのは難しいですね。
近藤 四段になるにしろなれないにしろ、僕はみんなに生き抜いてほしいんだよね。人生、いろいろあるじゃない。でもそれって、どうやって伝えればいいんだろう。自分自身が将棋を必死にやっても、結果が残るというほどは勝たない。2016年から2018年にかけて、お遍路にいったこともありましたよ。八十八箇所を5回ぐらいにわけて、それぞれ1週間ぐらいかな。対局や仕事があるから、バスとか電車を使うしかなかったところもあったけど、ずいぶんと歩きました。じゃあ、それで僕が変わって、何か子どもたちに伝わったかといわれると、何ともいえないよね。
ほかに水泳を3年ほど、コロナ禍になるまでやりましたよ。高校生以来なので、初めは25メートルも大変でしたが、そのうち1日2キロは泳ぐようになりました。年間200日通って400キロ、計算すると東海道線で東京から岐阜までいったことになります(笑)。水のなかで童心に返り、努力することの大切さを学びました。将棋を覚えた頃の気持ちになりましたね。正直なところ、プロになって強くなったという実感はないです。戦い方が巧くなったと感じた時はありましたが……。
――どんな分野でも、ある一定の水準に達すると成長がわかりにくいと思います。奨励会員もプロの将棋に近づくにつれ、前に進んでいるかわからない時期に差し掛かるでしょうね。
近藤 いま奨励会に入る子は、藤井聡太さんの影響で親が将棋を勧めてくれます。でも、自分の持ち味を出せないまま辞めていく子もいる。みんながみんな、藤井聡太じゃないでしょう。もっと自分にあった生き方や指し方があるんじゃないかな。でも四段にならないとしょうがないから、個性といってもなぁというのもわかるんですよ。
奨励会幹事をやった時間は宝物
最新形を勉強して羽生さんや藤井さんと同じ手を指せても、大事なことはそれで納得できるかじゃないかな。勝てばいいけど、負けたときは自分の気持ちが入った手じゃないと納得できないと思う。
――近藤奨励会員のときと比べて、いまは情報や手段はいっぱいあります。でも情報過多で何に集中したらいいのか、わかりにくい面はありそうです。最後の1年間はコロナ禍もあり、大変な時期だったと思います。いま奨励会幹事を振り返って、どういう時間でしたか。
近藤 宝物です。幹事をやったからこそ、会えた子たちがたくさんいましたから。四段昇段で印象に残っているのは、年齢制限ギリギリで四段昇段した棋士ですね。特に関東所属の井出(隼平現五段)、杉本(和陽現五段)、渡辺和史(現四段)、谷合(廣紀現四段)は、強いのはわかるけど本当になれるのかと心配だったし。
――藤井聡太三段が四段昇段したときはどうでしたか。
近藤 三段リーグの最終日しか会えなかったんですが、その前から噂になっていたんですよ。杉本さん(昌隆八段)に「藤井君って有望視されているようだけど、師匠から見てどうなのよ」と聞いたら、「彼は桁違いです」といわれてさ。俺らの世代で普通は弟子を褒めないから、杉本さんもどうかしちゃったんだろうと思ったら、彼のいうとおりだったね(笑)。