文春オンライン

特集観る将棋、読む将棋

PCは使わず、研究会もしない アナログすぎる棋士は“藤井聡太時代”の将棋界で何を思うのか

PCは使わず、研究会もしない アナログすぎる棋士は“藤井聡太時代”の将棋界で何を思うのか

近藤正和七段インタビュー #3

2021/10/09
note

――最終日は1局目で敗れたものの、競争相手にも黒星が付いたので、2局目に自力が残ったんですよね。

近藤 1局目に負けたときはふわーっとぼんやりした顔つきだったから、チャンスを逃したと思ったんでしょう。でも、奇跡的に目が残った。そういうところが勝負強い。自分が負けたときに競争相手も負けることはあまりないし、藤井さんのときは池永くんでしょう。いまの彼の活躍を見たら、余計にそう思います。

藤井さんは羽生さんのレベル

――池永天志五段は昨年、若手棋戦の新人王戦と加古川青流戦、どちらも優勝していますからね。2局目は西山現女流三冠に勝っての昇段でした。

ADVERTISEMENT

近藤 打ち上げで藤井聡太さんにジュースを注いであげたのは覚えている。間違えてビールじゃなくてよかった(笑)。

 それにしても藤井さんは強すぎる。羽生さんのレベルなんじゃないかな。だけど羽生さんはなんだかんだ、プロになった直後は先輩に一発を食らっていてね。剱持先生(松二九段)も羽生さんに勝ったら(※1)、「ほかのやつは弱すぎて、俺と読みが合わないから負ける。羽生と郷田(真隆九段)なら俺と読みが合うから勝てるんだ」といってました(笑)。

※1 1988年度の順位戦C級1組で、当時54歳の剱持が18歳の羽生五段に勝った。羽生はこの1敗が響き、頭ハネで昇級を逃す。同年度に羽生は対局数・勝利数・勝率・連勝の記録4部門を独占し、将棋大賞の最優秀棋士賞を史上最年少で受賞。翌年度に初タイトルの竜王を獲得した。

人と人との将棋の面白さを伝えていけたら

――いまの時代、そういうことをいってくれる棋士はいません(笑)。良くも悪くも、盤上も盤外も個性派が消えていったのが平成将棋界なのかもしれませんね。

近藤 奨励会に入って40年、プロになって四半世紀です。少年のときは昭和将棋界の温かさに支えられ、四段になったときは個性が生きる時代で思いっきり指せました。

 そんな自分も段々と引退が近づいています。「タイトルを獲るぞ」と思ったことはありません。でも、ふと「自分は頑張ったんだろうか」と自問してしまうときはあるけど、勝率1位賞があったからまだ納得できます。1回でも1位を取れば、「あのときは全棋士のなかでいちばん頑張ったんだな」と思えるから。全盛期がないと、終えられないでしょう。

 今後はまだ指していない棋士と一人でも多く指して、中飛車をぶつけていきたいですね。そのうち幹事のときに入会してきたチビッ子が四段になるかもしれない。いまからそのときが楽しみです。

 将棋界もAI時代が続くと思いますが、人と人との将棋の面白さを伝えていけたらうれしいです。それがいまの私にできる恩返しですから。

写真=杉山秀樹/文藝春秋

この記事を応援したい方は上の駒をクリック 。

PCは使わず、研究会もしない アナログすぎる棋士は“藤井聡太時代”の将棋界で何を思うのか

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春将棋をフォロー