「救助された者約130名、死体収容約200名、他は全部絶望視され…」
9月27日、各紙は号外を発行した。朝日を見よう。
青函連絡船(洞爺丸)転覆 函館港で 死者・行方不明多数
【函館発】青函連絡船洞爺丸(4337トン、近藤平七船長、水谷繁事務長、乗組員110人)は26日午後6時30分、乗客1117人を乗せて函館港を出港したが、強風のため午後7時すぎ、防波堤外で仮泊中、海上瞬間50メートルの強風に押し流され、エンジンに故障を起こし、同10時半ごろ、北海道上磯郡上磯町(現北斗市)七重浜沖100メートルの地点で座礁。45度に傾いて砂上に横転した。引き潮のため、乗客の一部は船員の指示で浅瀬を渡って同浜に避難。バスに分乗させ、函館港の景福丸海上ホテルに収容しているが、死傷者や行方不明も多いと見られている。
号外ではほかに(1)七重浜で約200人の死体を収容した(2)函館港外は30~40メートルの強風で救助は困難を極めている(3)函館海上保安部の調べでは、洞爺丸は七重浜から500~600メートル離れた海上に横倒しになった(4)国鉄本社に入った報告では、ほかの青函連絡船5隻も、十勝丸が沈没するなど、「難船一歩手前の形」と伝えている。
しかし、陸地の目の前で座礁、横転したことから、その程度の惨事と見ていたように思える。対して「洞爺丸・函館港外で遭難」が主見出しの毎日号外は、朝日とほぼ同内容ながら「乗船者千名絶望か」の見出し。「27日午前4時現在、救助された者約130名、死体収容約200名、他は全部絶望視されるという、わが国海難史上最大の事故となった」と踏み込み、こう続けている。
この報に接した函館青函局では、高見(忠雄)局長自ら陣頭に立ち、港内ランチをはじめ、付近に停泊中の汽船に救助方を懇請する一方、函館海上保安部に巡視船の出動を要請。同保安部から直ちに「おくしり」が現場に向かったが、ついに洞爺丸は間断なく押し寄せる大波のため、さしもの巨体も横倒しになり、その後、浸水甚だしく、このため、千百余名の乗客は先を争って船外に逃れようとし、大波にさらわれる者、船内に水浸しになる者など、暗夜の海は、流れるこれらの乗客で阿鼻叫喚を極め、多数の死傷者が続出している。
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函館青函局は正式には国鉄青函船舶鉄道管理局(青函局)。高見局長はのちに責任を問われることになる。毎日号外は「三、四百名“死の脱出”」の見出しの記事でこう書く。
「横倒しになって浸水した当時、一、二等客は逃げやすかったが、三等客は連絡船の構造上、三等室が貨車甲板の下になっているため、逃げ出すいとまさえないありさまで、わずかに船室の丸窓を壊して逃げ出した者が奇跡的に助かったぐらいで、遭難時船外に逃れた乗客が300~400名程度しかおらず、残り大部分は船内で水死、あるいは海中に飛び込んでも、折からの激浪にのまれたものと思われる」