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「七重浜海岸は右往左往する捜索隊員に交って遭難者の肉親や知人を探し求める人々、次々に打ち上げられる死体に夫や子どもの姿を求める半狂乱の婦人など、まこと目を覆うばかりであった」

「救命胴衣を着けていながら、荒れ狂う大波にのまれたものか、救命具のヒモをしっかりつかんだまま息絶えている者、また、船内で別れ別れになるのを防ぐためにか、ヒモでしっかりと腹を結び合った、年老いた夫婦らしい男女など、楽しかるべき旅路の途中に魔の大波にのまれた人々の姿は見る目をそむけさせるほど痛々しく、死体とともに流れ着いた子どものセルロイド製の玩具は、ひとしおその持ち主の死を象徴しているかのようだった」

遺体の残る沖を見つめる遺族ら(「洞爺丸遭難追悼集」より)

「板につかまらせて」に「ダメ」と手を振った

 救助された乗客の談話も載っている。青森市の行商人の女性(37)の証言は、生と死が紙一重だったことを示している。

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 船員に船が危なくなったからと言われたので、浮袋をつけて三等船室からボートデッキに上がっていたところ、大波がどんどん船腹をたたいて、次第に横倒しになってきた。ボートにつかまっていましたが、突然頭の上に大きな物が落ちてきたので、ついに大波にさらわれて真っ暗な海の中にたたき込まれるように沈んでしまいました。ふっと気がつくと、手に板が触ったので夢中でしがみついて波越しに明かりが見える陸に向かって泳いでいたところ、男の人が足にしがみついてきましたので「誰だ」と怒鳴ると、力を抜くように波にのまれて沈んでいってしまいました。また1人の女の人が「つかまらせてください」と体ごとぶつけてきましたが、私もようやく泳いでいる状態なので、「ダメ」と断るように手を振ると、その人も沈んでいってしまいました。どこの人か分かりませんが、かわいそうなことをしました。私も幾度も波に沈み、そのために「もうダメか」と思いました。いま思うだけでもゾッとします。

七重浜には誰が立てたか分からない供養搭が数本(「洞爺丸遭難追悼集」より)

「どうして嵐の中を出港したのか」

 毎日号外には事故の核心に関わる国鉄側の談話が見える。天坊(裕彦)・国鉄副総裁の話は「申し訳ない」が見出しで「詳細が分からないので、どうして嵐の中を出港したのか。これまで台風の時は無理な出航をしないでやってきた。今度は台風の速度も速く、台風が通過してしまったと現地で判断したのかもしれない。なんとしても残念なことをした」となっている。