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「台風の予測誤る」の見出しの記事は高見・青函局長の談話が付いているが、既にこの段階で事故に対する国鉄側の基本的な姿勢がのぞいている。

 当日の洞爺丸の出港状況や風速などの点を総合すると、同日の台風の規模が当初、海上最大風速25メートル余りと観測されていたため、平常はこのくらいの風速では、乗客を乗せたまま離岸し(接岸していると、波浪のため船に損害を生じる)、なぎを待って航行するので、この措置をとったところ、暴風が意外に大きく、同海上で瞬間53メートルを記録するような大暴風雨となったため、この事故が発生したものとみられている。

 高見局長談 なんとも申し訳ありません。とにかく暴風雨の予想が全く現実と違って予想外に大きく、こんなことになるなら、乗客を乗せて離岸するのではなかった。SOSを受けてからも波浪が静まらず、救助船が近づけなかった。

 同じ毎日の号外でも大阪本社発行は2ページ立てで、その2面には「最大風速実に53メートル」の見出しが。「函館気象台の観測によると、同(26日午後)9時ごろ、台風の中心が函館と小樽の中間を通過。海上の最大風速53メートルを記録した。洞爺丸などの遭難はこの時間にぶつかったためとみられる」とした。

 また、毎日東京本社は号外を複数発行しており、後の号外1面は「洞爺丸遭難の惨状」の見出しで「救命具やボートなど、船体の一部とともに打ち上げられた海浜のいたましい遭難の跡」という空撮写真や、七重浜に打ち上げられて並べられた犠牲者の遺体写真などのグラフになっている。

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「必死の捜索」の写真グラフ(道新)

 2面は「荒天になぜ出港した 嫁と孫二人を失って……」「“父が本当に乗船……” 言葉少なにうつむく」などの見出しで、遭難者の家族の表情が写真入りで載っている。また洞爺丸の設計責任者の「客船としての性格上、船腹の横面積は貨物船に比較して非常に大きいので、横風の風圧にはかなり欠陥が認められ、荒天時の航海は十分気をつけなければならないので、引き渡し当時、警告を与えておいた」との談話もある。

会議に遅れないよう、船長に出港を強要した?

 道新の号外は少し進んでいて、「洞爺丸遭難者の死体続々収容 十時現在二百八十名」「生存者一四七名収容」という見出し。

数多くの船舶が遺体捜索に集まった(「洞爺丸遭難追悼集」より)

「目を覆う七重浜の惨状 虚空をつかむ死者の手」という現場のルポは「振り乱した髪、口を固く結んでいる。目を開ききって手が虚空をつかんでいる。激浪を泳ぐうちに波に取られたのか、半身裸の死体も多い。裸足の足首に海藻が巻きついている。海中で木片にぶつかってできた傷だろう、顔、胸、足などに血がにじんでいる死体も多い。目を覆いたくなるような凄惨な地獄絵だ」と生々しい。

 また、「国鉄の本道幹部全滅」と、国鉄の北海道総支配人兼札幌駅長らが洞爺丸に乗っていて犠牲になったと報じた。東京での会議出席のためで、これが「会議に遅れないよう、船長に出港を強要した」との見方を生んだ。