お金払ってでも車と運転手を調達して仕事をするって事なんでしょうか。お客さんの依頼が絶対。これが被告人のセブンルールなんですね。
無免許運転26年目の“順法精神”
続いて検察官から。
検察官「去年の裁判で、今後は従業員に運転してもらうって話してたようですけど、何故運転したんですか?」
被告人「お客さんから『エアコンが動かない』と連絡ありまして。ちょっと出来心で行きました」
検察官「出来心ってね、運転したの1回だけじゃないでしょ?」
被告人「1回乗って大丈夫だったから、もういいか……とやってしまった感じです」
なかなかぶっちゃけたお答え。一度約束を破ったら2回も3回も同じでしょと考えてしまっていたんでしょう。
検察官「車無しで仕事は続けられるんですか?」
被告人「人をやりくりすれば大丈夫です」
検察官「出来ないからあなたが運転したんでしょ?」
被告人「そうなんですよね……」
検察官「じゃあ、またやるんじゃないですか?」
被告人「いや、それは無いようにします! 法治国家の日本で何度もやるのは恥ずかしいですから」
無免許運転歴26年で言う言葉じゃないでしょ。
自分の「やめられないもの」の見つめ方
2週間後、被告人には実刑判決が言い渡されました。これを機に無免許運転はやめてくれればいいんですけど、お客さんの声が第一という理念がねぇ。仕事一筋なのがちょっと心配です。
誰しも繰り返しやめられない事や依存してるものって1つはありますよね。それが法に触れるかどうか、他人に迷惑掛けるかどうかで評価は大きく変わりますが。
被告人に対して偉そうに好き勝手書きましたが、自分も裁判の傍聴を20年以上もやめられてないので他人に物申してる場合じゃないですね。自分が傍聴席に着席しなければ、その席に他の誰かが腰掛けて傍聴出来たはずで申し訳ない限り。やめられない自分を冷静に見つめる目を持ちたいものだなぁと被告人たちを見て思いました。