東京地検特捜部が目下、捜査を進める日本最大のマンモス校、日本大学を巡る背任事件。捜査の手は、最高権力者である田中英寿理事長(74)に及んでおり、すでに特捜部は田中氏の自宅を家宅捜索し、田中本人の任意の事情聴取まで行った。
田中氏とは一体どのような人物なのか。「文藝春秋」11月号より「日大『田中帝国』の土俵際」を一部公開する。(全2回の2回目/前編から続く)
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アマ相撲界の大鵬
農家の三男として生を受けた田中氏は、青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身だ。金木町は作家の太宰治や歌手の吉幾三の出身地で、津軽三味線の発祥の地としても知られている。高校から相撲を始めた田中氏は、地元の名門、木造高校相撲部を経て日大に進学。相撲部の1年下にはのちに横綱になる輪島がいた。
ベテランの相撲記者が語る。
「田中氏と輪島氏は切磋琢磨するライバルであり、輪島が18年に亡くなるまで親友でした。輪島は大学3年生の時に決勝で前年に学生横綱だった田中氏を下し、学生横綱を奪取しました。田中氏は卒業後の進路について、日大の上層部から『プロには輪島を行かす。お前は大学に残れ』と言われ、その言葉に従うしかなかった。そして日大に職員として就職し、指導者の道を歩みました」
就職後も相撲部のコーチをしながら、アマチュアとして大会に出場し、現役を続けた田中氏は、合計34のタイトルを獲得。“アマ相撲界の大鵬”と呼ばれた。
「大学では農獣医学部の体育助手から始まり、日大の運動部を統括する保健体育審議会に移りました。田中氏は午前中は奥の長椅子で横になって寝ています。午後になると『練習に行ってきます』と居なくなる。時には上司から『寝てばかりいないで、少しは仕事をしろ』と怒られていました。当時の彼が『俺は女房には頭が上がらない。養子みたいなもんだ』と言っていたことを憶えています」(当時を知る日大ОB)
優子夫人との出会い
田中は74年、三波春夫の前座をしていた元演歌歌手の優子夫人こと旧姓、湯沢征子氏と結婚している。
「彼女は歌手として2枚レコードを出しており、演歌歌手の大月みやことは一緒に“ドサ回り”をした仲だそうです。優子夫人は長野県の下駄屋の娘で、母親が上京して阿佐ヶ谷で喫茶店を始めた。これが『ちゃんこ料理 たなか』のルーツです。店が入るビルは“湯沢ビル”と名付けられ、ちゃんこ屋は優子夫人と母親が切り盛りしていました。阿佐ヶ谷には日大相撲部の合宿所があり、かつて輪島が所属していた花籠部屋もありました。相撲好きだった優子夫人は花籠部屋の若秩父がお気に入りでしたが、そのうち田中氏と知り合い、結婚したのです」(同前)