自宅に街宣車、脅迫状…異変が起こり始めた
幸安氏の周辺に異変が起こり始めたのはその頃だった。自宅には街宣車が来て褒め殺しを始めたかと思えば、「早く辞めなければいけない」「身の危険がある」などと書かれた脅迫状が届いた。さらに04年末、総長の元に実弾入りの白い封筒が届き、常務理事の一人にも薬莢入りの封筒が届く異常事態が発生。警察に届け出たものの、結局犯人は特定できなかった。
幸安氏は次期総長選が近づいた05年、6名の弁護士から成る特別調査委員会を作り、田中氏に自宅待機を命じて、疑惑調査を開始した。
「工事業者に対する田中氏の金銭要求や戦後最大のフィクサーと呼ばれた許永中ら暴力団関係者との交友が調査の中心でした。田中氏本人も身の潔白を証明すべく聞き取りに応じたものの、結論は『白じゃない、黒に近いグレー』との心証を残したまま次期執行部へと引き継がれ、うやむやのまま終了した」(前出・日大の元幹部)
「数と喧嘩なら負けねえぞ」
田中氏は間一髪で逃げ切った。そして総長選で自らが推した候補が当選を果たすと、彼は来るべき自らの選挙を見据え、着々と準備を進めた。田中氏は卒業生を中心とした校友会を全国に作り、その纏め役として会長に君臨し、支持基盤を固めたのだ。
「こっちはな、数と喧嘩だったら誰にも負けねえぞ」
当時の田中氏は口癖のようにそう話していたという。
そして08年。彼はついに日大の“横綱”となった。
「総長は教学出身者しかなれないため、職員上がりの田中氏は理事長を目指した。そして総長制を廃止し、すべての権限を理事長に集約させたのです。彼は権力のトップに立つと、側近であっても気に入らなければ躊躇うことなくポイ捨てにしました。正しくそれは恐怖政治でした」(前出・日大元幹部)
恐怖政治を敷く田中氏の背後には、暴力団の影が常に見え隠れした。
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「日大『田中帝国』の土俵際」の全文は、「文藝春秋」2021年11月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
日大「田中帝国」の土俵際
【文藝春秋 目次】葛西敬之・老川祥一・冨山和彦・片山杜秀 危機のリーダーの条件/財務次官、モノ申す「このままでは国家財政は破綻する」
2021年11月号
2021年10月8日 発売
定価960円(税込)