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団塊世代の“安否確認の場”となった“ラジオ体操”はいつまで続く? 15年後、新人類世代に必要な“コミュニケーションツール”とは…

2021/10/19
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 最近、朝のウォーキングを始めた。通勤が減ってテレワークの比重が増えるとどうしても運動不足になるし、コロナウイルスに感染しないためには、ただマスクで防護するだけでなく、体を鍛えて抵抗力を強めておきたいという、勝手な自己判断によって始めてみたものだ。

 始めて3か月。1日8000歩から1万歩。距離にして5キロから7キロ。ウォーキング以外に大した運動をしているわけではないのだが、毎朝やるにつれてあきらかに体が軽く感じるようになった。これは健康的効果。

 だがそれ以上に様々な発見をすることができた。通勤だけしていると自宅と会社間のみの行き来になる。最寄り駅まで一直線に歩くので、実は自分が住んでいる街に、どんな施設があるのか、知っているようで知らなかったことに気づかされる。意外なところに公園がある。こんなところに学校が、神社が、クリニックがある。会社と自宅との往復ではわからなかったことだ。これは地理的効果とでも言えようか。

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ラジオ体操は日本の象徴

 さらに大きな発見があった。ラジオ体操だ。それは毎朝6時30分。けたたましいほどに明るい音色のサウンドと元気溌剌、非の打ちどころのないほどに爽やかな男性の掛け声で始まる日本の朝の国民的行事だ。

湘南の海岸でラジオ体操を行う方たち 筆者撮影

 神社やお寺の境内で、街中の小さな公園で、そして私が週末をすごす湘南海岸の浜辺で、リズムに乗って規則正しく全員が同じポーズで体を動かす。

 私が子供のころ、ラジオ体操は学校の朝礼で行われた。体育の先生が壇上で笛を吹きながら一斉に体操をした。夏休みには地域で行われるラジオ体操に出かけた。毎朝出かけて体操をするだけでご褒美がもらえたからだ。皆勤賞だともっと良い景品がもらえた。そのためだけに早起きをして、指定された広場に出かけたものだ。

 ラジオ体操は職場でも行われた。工場で、事務所で、お店で、銀行で、一定の時間になると仕事の手を休めて一斉に体操をするさまは、外国人からみれば異様な光景に映るかもしれない。日本人が何でもみんなで集まって一緒に行動する象徴がラジオ体操なのだ。