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2021/10/17

「美を捨てた」佐藤健の実直な演技

 中山七里の原作『護られなかった者たちへ』の映画化にあたり、『菊とギロチン』などで知られる瀬々敬久監督は、プロットの段階から佐藤健に利根役をオファーした。それは『8年越しの花嫁 奇跡の実話』で土屋太鳳と共に主演をつとめた佐藤健に対する絶対的な信頼が根底にあった。

『8年越しの花嫁』の佐藤健は、端正な顔立ちから立ちのぼる普段の華やかな雰囲気を完全に消し、工場で働く不器用な青年を演じていた。映画でまず観客を驚かせたのは脳の後遺症とリハビリにのたうつ土屋太鳳の演技力だったが、その名演を裏から支えたのは佐藤健の「美を捨てた」実直な演技だったと思う。

佐藤健(アミューズ公式サイトより)

『護られなかった者たちへ』の佐藤健が演じる利根という刑務所帰りの男は、『8年越しの花嫁』の好感のもてる実直さとも違う、観客に本能的な不快感と警戒心を抱かせる危険な気配を放っている。佐藤健は明確に、観客がそう感じるように演技で誘導していくのだ。

『護られなかった者たちへ』眼で演じる佐藤健

 それは佐藤健がこの夏に声で演じたもうひとつの映画、細田守の劇場アニメ作品『竜とそばかすの姫』の竜のことを思い出させた。不快で、暴力的で、危険に見えるものが本当の「悪」であるとは限らない。ミステリには「叙述トリック」というものがあるが、松本清張の流れをくむ社会派ミステリの側面をもつこの映画は、佐藤健の演技の叙述によって観客をあえてミスリードしていく。それは観客の「素朴な感情」を問い直すためだ。

 この映画を見て、改めて佐藤健の「眼」の役者としての雄弁さに驚かされた。「るろうに剣心」で演じた優しげにヒロインを見つめる細いまなざしとは別人のようにギラついた目つきは、映画の中で次々とその表情を変えていく。

 2011年を軸に過去と現在を行き来するストーリーは複雑だが、佐藤健の眼を見るだけで今がどの時代で、利根がどういう心理状態にあるのか観客が直感的に把握できるほどだ。海外公開で俳優の声にはその国の吹き替えが入る場合もあるが、佐藤健の眼の演技はどんな言語や文化の観客にも翻訳不要のメッセージを伝えることができるだろう。

©️AFLO

 佐藤健がその雄弁なまなざしで演じていくのは、「きれいごと」ではない被災地の生々しい現実だ。それは単に3・11の特殊な状況ではなく、コロナ禍で多くの店舗が閉店し、経済が激甚なダメージを受けた現在の社会と重なる。企画時には震災から10年を意図したであろう作品は、奇しくも未知の新型感染症という世界的な災害の中で公開されることになった。