まだ10代である清原果耶への揺るがない信頼
震災の中で妻子を失った刑事を阿部寛が演じ、林遣都、宇野祥平、原日出子、倍賞美津子、吉岡秀隆、永山瑛太、緒形直人という名優たちが被災地の人々、刑事や市役所職員ら重要な意味を持つ人物たちを演じていく。この俳優をこんな役に投入するのか、という驚きは、松竹映画の総力戦のような意気込みだけではなく、「大物俳優だから善人側の役」などという観客の先入観を裏切る、誰が善で誰が悪か、何が善で何が悪かを攪拌する物語だからだ。
生半可な俳優は1人もいないその総力戦の中に、まだ10代の清原果耶がいる。パンフレットで監督が語るように、原作では彼女が演じた円山は男性であり、また同時に物語の鍵を握る人物だ。その性別を変更し、まだ10代の女優に任せる大胆な配役は、清原果耶の演技に対する揺るがない信頼のあらわれだろう。
福祉保健センターの職員を演じる清原果耶は、貧困から生活保護に追い込まれる被災地の人々と向き合う円山の苦悩を確かな演技力で表現していく。朝の連続テレビ小説のイメージとあいまって、観客は彼女の中に誠実さと信頼を感じるだろう。だがそれは、佐藤健の演技が観客に強烈に印象付ける不信や警戒と表裏一体となる感情の誘導なのだ。
クライマックスで清原果耶が、佐藤健が、阿部寛が見せる演技の素晴らしさを説明してしまうことは、この映画の核心を明かすことになるので避けよう。ただひとつ言えることは、この映画は正しい人間と悪い人間を分けるために作られた映画ではないということだ。
「死んでいい人なんていないんだ」と予告編で佐藤健が演じる利根は清原果耶演じる円山につぶやく。予告編だけ見れば「きれいごと」に見えるその言葉が、映画を見終わったあとでは全く別の響きに聞こえてくる、善も悪も内包した生を描く映画として『護られなかった者たちへ』は作られている。「この職業のこの人物がすべて悪い」という安直な結論を避けるために、すべての役に各世代の名優を投入する総力戦のような配役が行われている。
「きれいごと」をのりこえて、物語の結末へ
「ただいま、カンちゃん」という映画の中の利根のセリフを、「おかえり」に変えてはどうか、と提案したのは演じる佐藤健本人なのだという。詳細は明かさないが、それは『護られなかった者たちへ』のクライマックスで待つ、とあるシーンと深く関係している。
だがそれは同時にもうひとつ、偶然にも、被災地を舞台にしたもう一つの作品、対極のメディアで放送される朝の連続テレビ小説とこの映画をつなぐ一本の糸にもなっている。
安達奈緒子脚本が導く『おかえりモネ』はこの10月、「きれいごと」をのりこえて、物語の結末に向かうのだろう。菅波と百音、亮と未知たち、引き裂かれた東京と被災地の物語に脚本が託した意味も、そこで明らかになるはずだ。『おかえりモネ』と『護られなかった者たちへ』のように、別々の場所で作られた作品が、対極の道をたどりながら同じ問題意識を共有することもあるのだ。
清原果耶という若い1人の俳優で繋がる2つの作品を、この10月に見届けるのは稀有な経験になるのではないかと思う。
2020/10/17 12:36……読者からの指摘を受け、以下内容を修正いたしました。
「『8年越しの花嫁』の佐藤健は、モデル出身の端正な顔立ちから」→「『8年越しの花嫁』の佐藤健は、端正な顔立ちから」
2020/10/18 14:08……読者からの指摘を受け、映画『護られなかった者たちへ』の公開日の記述を修正しました。