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「心のサポーター」を養成するなら、新たな制度や法律も必要

――具体的に、どのような課題があると思われますか?

押川 単純に考えて、専門家ですら関わりを拒む対応困難な患者を、地域の人がどうやってサポートするというのでしょうか? 「心のサポーター」は症状の軽い患者を対象にするのかもしれませんが、そういう方は自ら病院に行ったり、自ら支援を受けたりすることができるわけです。地域でのトラブルの火種になってしまうのも、あくまでも医療につながろうとしない患者です。

 さらに家はクローズドな空間なので、家族が進んで情報開示でもしない限り、その当事者がどういう状況なのか、地域住民は正確に知ることができません。

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 地域住民を本気で「心のサポーター」として養成したいのであれば、並行して制度や法律もつくらなければいけないし、何かあった場合の責任の所在も明文化しなければ、絵に描いた餅に終わるか、かえってトラブルの元になるでしょう。

 

――仮に今後「心のサポーター」が増えていくとすると、精神科病院や施設は不要になるのでしょうか?

押川 診療報酬の面からみても、精神科病院は入院治療から訪問看護などアウトリーチに舵を切り、病床数で言えば、どんどん減らされています。

 私自身は、いくら「脱施設化」と言われようと、精神科病院で認知行動療法や作業療法を受け、病院職員やほかの患者とコミュニケーションを重ねることは、精神疾患の患者が社会性を身につけるために必要不可欠だと考えています。

 しかし「地域共生」の流れから、精神科病院に入院できるのは、病院の枠にあてはまる患者だけという時代にますますなっていくと思います。

病院も家庭も「枠に当てはまる」人間を好む

――「病院の枠」とはどういうことですか?

押川 主治医や病院職員の言うことを聞いてきちんと服薬し、問題を起こさず早期退院して訪問看護も受け、また具合が悪くなったら自ら入院するという、病院側にとって金儲けがしやすい患者という意味です。病気が一因となり社会でトラブルを起こしてしまうような患者は、認知の歪みや思考の偏りがあり、病院職員の手を焼かせる存在になりがちです。治療するにしても時間がかかり、費用対効果もあまり良くないので、最初から受け入れてもらえないのです。

「枠に当てはまる人間を好む」ことは、家庭も同じです。今日本で社会問題になっている中高年のひきこもり問題の根底には、「優秀な子ども」だけを好んできた結果が如実に表れています。この「優秀」には、学歴や肩書の優劣だけでなく、「親の言うことを聞く」「親の理解の範囲を越えない」といった意味も含まれます。

 社会においてもまったく同じことが言えますよね。日本には秩序を守り、周囲に同調することを美徳とする文化があり、失敗を許さない。私が携わったケースでは、ひきこもりの息子のことを、近所の人には「遠方で働いている」と20年も隠していた親や、結婚相手や自分の子どもに、精神疾患を持つきょうだいがいることを教えていない人もいました。