最悪の事態に陥った時に、責任を被るのは家族
――「精神疾患を抱えた子どもは優秀ではないからいらない」と思う親が多いということですか?
押川 精神疾患に限らず、「自分が理解できる」「思い通りになる」ものが好きな人が多いのではないでしょうか。言葉を換えれば、それだけ欲求が強い。頭で想像して理解するより、感情に沿って生きている人が多い、とも言えます。
たとえば私は、思春期にひきこもり始めた子どもを、「自分たちが生涯、面倒を見ればいい」と言って家に囲っていた親が、子どもが30、40歳にもなるとさすがにイヤになっちゃって、「もう無理、死んでほしい」と言い出す姿をたくさん見てきました。子どもからすれば、「冗談じゃねえぞ」という話ですよね。親が感情的に子育てをすれば、子どもはもっと強烈な感情モンスターになります。
「ひきこもりも不登校も本人がそうしたいならいいじゃないか」と外野が言うのは簡単ですが、最悪の事態に陥った時に、責任を被るのは家族です。日本ではまだ、本人と家族を支える磐石な仕組みがあるわけではなく、失敗した時には自己責任とされる。そんな社会で生き抜いていくには、良くも悪くも「しぶとさ」が必要です。生身の人間として生きる覚悟を一人ひとりが持たなければいけないと感じています。
真実をもとに問題提起をする専門家がいない
――社会にはいまだに精神障害者に対し偏見や差別があると感じます。これを払拭するにはどうしたらよいと思われますか?
押川 これまで、精神疾患の家族を抱える問題や長期ひきこもりの問題については、家庭内で起きている命スレスレの「事実」が提示される機会が、ほとんどありませんでした。
病状が悪化する背景には、社会のありようも関係していますが、少なからず家族にも問題があります。にもかかわらず、事件化するほど深刻になればなるほど家族の中に問題が隠され、一般の人が真実を知らずにいることが問題解決を阻んでいる要因です。家庭という現場の最前線を多数、経験してきた私からすると、メディアに出てくる専門家ですら二次情報で語っているな、と感じることも多々あります。偏見や差別をただすための教育にしても、事実を知らなければ机上の空論にしかなりません。
私はいつも本やマンガで、行政機関を強く批判していますが、ここ数年は、その保健所や社会福祉協議会から、「押川さんの対応方法や危機管理について講演をしてください」と依頼が来るようになりました。それだけ現場も切羽詰まっている。これはひとえに、真実をもとに問題提起をする専門家がおらず、議論にさえなっていないからです。
マンガの中には適切な治療を受けられないことで病状が悪化し、暴言や暴力として表出しているケースも出てきます。こうしたリアルな事実を提示されて初めて、このマンガで描かれているエピソードが遠い世界のゴシップではなく、自分や自分のすぐ近くにある話であり、自分の家族が将来なり得る姿かもしれないと気づく人もいるでしょう。このマンガにはそこを浮き彫りにしたいという思いもあります。