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母ちゃんが親ではなく女性に変わった日

 そしてあたいが生まれた頃。

 父ちゃんは知り合いのツテで始めた副業の宝石商で、どういうわけか詳しくは知らないがヘタをこいて借金をこしらえ、生活は暗礁に乗り上げた。母ちゃんはお金に余裕がなくなると、子どものように毎日騒いで、さらに父ちゃんには非難の声を浴びせ続けた。父ちゃんは精神的に参って、偽装離婚を申し出たようだった。その方がそっちに借金の責任が行かなくなるし安全だ、別居してから俺1人で清算してケジメつけられたら戻る、という言い分だったらしい。

 もちろんここまでの話は、あたいが姉ちゃんから聞かされた伝聞の内容だ。姉ちゃんも詳しいところを知らなかったようだし、あたいなんて父ちゃんの顔すらキチンと覚えていない有様だった。

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 あたいの幼少期のおぼろげな記憶には、たまに家に来て、お茶漬けを食べてから寝るタバコ臭い大人の男性だという、そんなイメージしかなかった。

 あたいが小学校に上がってすぐのある日、父ちゃんが車で家に来て、1人で留守番してたあたいを連れてドライブがてら駄菓子屋まで行ったことがある。普段は買ってもらえないくらいの大量のお菓子を選び、あたいは大喜びで「すぐに食べたい」って父ちゃんに伝えた。父ちゃんは甘かったからそれを許してくれた。

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 駄菓子屋のそばに団地群があったので、そこの中ほどにある自然豊かな公園で、食べきれないくらいの駄菓子の封を開いた。甘いザラメがふんだんにかかったカステラを、汚い手のままつまんで口に放りやる。それに夢中で父ちゃんの顔なんて見やしなかった。

 これは父ちゃんなりの置き土産で、謝罪のつもりだったのかもしれない。

 父ちゃんは次の日、自殺した。

 父ちゃんの遺体を見つけたのは、あたいとアパートの大家さん。あたいは詳しく覚えていないが、父ちゃんの家に遊びに行ったか、それか前日に父ちゃんに呼ばれてたか、どんな理由があったかは定かではないが、とにかく不運なことにその現場の近くにまで行っていたのだ。

 それからいろんな大人がいる場所に向かったのを覚えている。

 あれは京都の父ちゃんの実家だったのかな。父ちゃんの家は親戚や兄弟が多くて、あたいくらいの子どももたくさんいたわ。その子達の顔は覚えてないけど、斎場かどこかで子どもたちみんな揃ってアイスを食べたのは記憶にある。借金の話や、遺品のことを母ちゃんが淡々と話してたのをうっすら覚えている。こんな時でもお金の話だと、知らないおばあさんが不満と怒りをあらわにしていた。

 母ちゃんはこの時から一変した。

 それまでのただの専業主婦から。

 子どもに対して親ではない、女性に。

 自分が母親であることを嫌悪した、苛烈な独裁者のように。

 そして死んだあともなお、父ちゃんを「無責任な人間だ」と罵っていた。

 あたいの記憶はここからが鮮明だ。

 母ちゃんとの戦いの日々だった。

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