かつて「万病の元」とまで言われた有害論を克服し、アイデンティティの確認・確立のためにも必要だという捉えられた方をするようになってきた「オナニー」。しかし、いまだに、自慰行為をうしろめたいものと感じる人は数多い。はたして、そうした思いはなぜ生まれてしまうのだろう。

 ここでは、「世界中の人々の性生活を豊かにし、人を幸せにする」をミッションに活動するTENGAヘルスケアが監修を務め、性に関するさまざまな専門家たちの知見をまとめた書籍『なぜオナニーはうしろめたいのか』(星海社新書)より、TENGAヘルスケアで広報を務める西野芙美氏と東京大学教授の赤川学氏が行った講義の一部を抜粋。“オナニー”のうしろめたさを真面目に考える。(全2回の1回目/後編を読む)

©iStock.com

◆◆◆

ADVERTISEMENT

根強く残る「有害論」

西野 さて、ここまでオナニーの歴史学、社会学という“目から鱗”のお話をうかがってきましたが、「Schoo(編集部注:オンライン学習サービス)」の講義では、それに続いて、「なぜオナニーはうしろめたいのか」というテーマもご用意いただきました。

赤川 「万病の元」とまで言われた有害論を克服し、むしろアイデンティティを確認しそれを確立するためにも必要だ、というところまできたわけですが、それでもなぜか、オナニーはうしろめたい。単に恥ずかしいというのを超えた「背徳感」、「なにか悪いこと」みたいな感覚が、どうしてもつきまとうでしょう。何を隠そう、私自身にもそれはあります(笑)。

西野 みんな、よく分からないのだけれど、なんとなく罪悪感のようなものを感じているわけですね。

赤川 社会学的には、そこのところが、非常に気になるんですよ。それが理路整然と解き明かされたわけではなく、1つの問題提起として受講生のみなさんに提示したわけですが。

 それを前提に話を進めると、「うしろめたさ」とひと言で言っても、その内実は人によってさまざま。例えば、オナニーという行為を「もてない証」と感じてしまう、というのがあります。