西野 疑念にもいろいろあるとは思うのですが、基本的には「人との違い」こそが、性的アイデンティティなのですよね。
赤川 その通りなのですが、当人にとって消化しきれない場合もあるでしょう。
あえて述べておくと、人間には食欲、睡眠欲、性欲という3大欲求があるわけですが、例えばどんな食べ物が好きなのかを自分のアイデンティティにする人は、あまりいません。しかし、自分が性的にどのようなものを欲する人間なのかというのは、その人にとって重要この上ない問題で、そのことがクローズアップされたのが近代の特徴なのだ、とフランスの哲学者ミシェル・フーコーは考えました(『性の歴史』全4巻、新潮社)。
簡単に言えば、近代以降に生きる我々は、性というものをとても大事に考えるようになった、ということです。ただ、それゆえに、性に強く「とらわれる」ようにもなったわけですね。
オナニーのうしろめたさも、そういう文脈の上に位置付けられるのかもしれません。自分が、性的アイデンティティを持つ自分自身にオナニーという形で関わることは、いったい何を意味するのか。逃げるようで申し訳ないのですが、研究しがいのある「永遠の謎」だと思っています。
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赤川 まあ、このようにいろんな意味でうしろめたいために、オナニーの話はなかなか人前では、できないわけですね。西野さんは、親しい人とオナニーについて話すことはありますか?
西野 私はマスターベーションアイテムなどを扱う会社にいますから、毎日のように語り合いますけど、仕事を離れたプライベートで、自分のマスターベーションについて話すことは、あまりありませんね。時々そこを誤解されたりもするのですけど(笑)。
赤川 ちなみに、「Schoo」のようなネット空間だとか、こうした書物だとかでは、堂々と「オナニー」を語れるわけですが、恐らくテレビの地上波などでは「放送禁止用語」に近い扱いだと思いますよ。「ひとりエッチ」ぐらいは許容されるかもしれませんが。それくらい、オナニーは、「いけないこと」感のプレッシャーが強い。