「命に限りがあることを痛感しました」
基地に戻った翌日、ペンギン・ルッカリの新情報をつかんだ監督が、ケープ・ロイズへ出発すると言い出したとき、高倉は、
「これは、もう正気じゃないと思ったね。前の日死にそうな思いをして、僕は耳がもげそうな凍傷になってて。でも、そうか、ここ(南極)にはペンギンを撮りに来たんだって思って……。もう、監督の執念だよ」
ペンギンとの共演を無事果たしたあと、高倉は凍傷の手当てを受けるため、同年11月9日、スタッフよりひと足先に、南極を離れロサンゼルスに向かいました。
「あぁ、やっと生きて地獄を抜け出せる」と思う反面、自分だけ先に南極を後にした後ろめたさに包まれながら。
『南極物語』が、高倉のその後の人生にもたらした影響は、次の言葉に集約できると思います。
「今度の南極ロケで人生観が変わりましたね。何よりも、死を身近に感じて命に限りがあることを痛感しました。もう人生の“持ち時間”があまりないなということ。残りの人生でどれだけのことができるのか、結局生きるとはどういうことか、南極ではそんなことばかり考えていました」(「読売新聞」1983年1月8日夕刊)
高倉が『南極物語』、『海へ See You』の2本でご1緒した蔵原惟繕監督は、2002(平成14)年12月28日に亡くなりました。
晩年、『南極物語』リニューアル版DVDを観終わって、高倉が言いました。
「(同世代の)蔵原監督も椎塚カメラマンももう死んじゃったんだよね。椎塚さんとテントの中でずっと話してたんだよ。寒すぎて寝られないんだから。今、ベッドで暖かくして寝られるって、それだけで極楽。(今まで)良くやってきたよね」
2019(令和元)年、『南極物語』の36年前の35ミリフィルムが4Kにリマスターされました。1998年に発効した「環境保護に関する南極条約議定書」により、南極に元来ない動植物種の持ち込みが禁じられたことで、南極大陸でペンギン越しに犬橇が走るシーンは、歴史的にも貴重な映像となっています。
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