義理がたく、人情に厚く、筋を通し、礼儀正しい……。そんなイメージで日本中から愛された映画俳優、高倉健さんがこの世を去って7年が経った。プライベートを明かさないことでも知られる名優が、生前、家族にだけ見せていた素顔とは。

 ここでは、高倉健さんの最後を看取った小田貴月さんの著書『高倉健、その愛。』(文春文庫)の一部を抜粋。忘れられない映画人との秘話を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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ぶん殴ってやめてやろうと思った ―内田吐夢監督の“愛のしごき”

「監督をぶん殴ってやめてやろうと思ったんだよ(笑)。今日こそ、今日こそって、毎日思ってた。この時はきつかった。どんなにやってもOKでないんだ。とにかく、僕だけしごかれたね。『君の手には、アイヌの哀しみがない』って言われて、何やっても大声で怒鳴られて、とにかく追い込まれた。内田監督との最初の映画で、これがいつものやり方だなんてわからないからね。毎日が嫌で嫌で仕方なかった……・」

 撮影時のダメ出しばかりが思い出になってしまった作品が、内田吐夢監督の『森と湖のまつり』(1958年)でした。原作は武田泰淳、北海道の大自然を舞台に、アイヌと和人の民族問題を取り上げた物語です。

©文藝春秋

 デビュー3年目に公開されたこの作品で、高倉は、滅びゆくアイヌ民族の運命を背負った青年・風森一太郎役を演じました。アイヌの心の襞をどう表現するかが問われる、これまで取り組んだことのない難しい役でした。

 この時初めて出逢ったのが、10年間の満州生活から戻り、東映と専属契約を結んだ内田吐夢監督。内田監督の“しごき”は相当なものだったようで、共演の三國連太郎さんも、次のように語っています。

「健さんはそれまでプログラムピクチャーが主流でしたでしょ。ああいう形で大監督の映画に出るのは初めてですから、固くもなっていたんでしょう。それにしても残酷ないじめ方だった(笑)。(中略)健さんは、いい印象はないんじゃないかなぁ。本当にいじめられっぱなし(笑)。(中略)つまり、芝居のつかみ方が違う、というんじゃないのかなぁ。その点では、健さんも触れるものがあったんでしょう」(『吐夢がゆく』映画監督内田吐夢17回忌追悼記念出版)