孤高の映画俳優として知られた高倉健さんは、自身のプライベートをほとんど明かさない人だった。そんな高倉さんの最期を看取った女性が、2013年に「養女」として養子縁組され、現在は高倉プロモーションの代表取締役を務めている小田貴月さんだ。

 生前、高倉健さんが小田さんに伝えていたのが「僕のこと、書き残してね。僕のこと一番知ってるの、貴だから」という言葉だという。ここでは、そんな高倉健さんの思いを形にした一冊『高倉健、その愛。』(文春文庫)の一部を抜粋。『南極物語』撮影当時の壮絶なエピソードを紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)

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「余計なものは、一切持ち込めない」

「北極にはペンギンはいないんだよ。だけど(蔵原)監督は、どうしても僕とペンギンの一緒の画が撮りたいって言って、日本(での撮影)が終わってから、南極に行ったんだ」

 南極大陸は、人間を寄せつけない特別なエリアです。98%は氷で覆われていて、オーストラリア大陸の2倍ある陸地のほとんどは、1年中氷雪に閉ざされています。

高倉健さん ©文藝春秋

 冬の内陸高原の気温はマイナス60~70度に達し、生き物はペンギンとアザラシのみ。大陸の軍事的利用は禁止されていて、領有権凍結などが国際間で取り決められています。

「移動はね、アメリカ空軍の軍用機(輸送機)C–130。(ニュージーランド)政府から許可が出たのは、監督と、椎塚(彰)カメラマンと、助手の田中(正博)さん、そして僕の4人だけ。

 旅客機じゃないからね、人も貨物と一緒。機内の壁に荷物みたいに括られる。兵隊から不時着したときの注意とか説明があって、サンドイッチとジュースをポンって渡されて、それから耳栓ね。機内は轟音でね。あぁ南極に島流しか、なんてところに行くんだろうって思ったよ」

 高倉らのフライトは、南極のニュージーランド・スコット基地が物資の補給に使っている米軍輸送機C–130で、ニュージーランド・クライストチャーチから、南極アメリカ・マクマード基地まで8時間。同年10月19日、高倉のメモによれば、アメリカ・マクマード基地の気温はマイナス28度でした。

「荷物の重量制限がとっても厳しかった。余計なものなんて一切持ち込めない。本が1冊だけ許されるっていうんで、僕はこれをもっていった。もう、ボロボロだね」

 そうして高倉が書棚から取り出したのは、グラフ社から出版されていた『男としての人生 山本周五郎のヒーローたち』(木村久邇典著)でした。