そのたびに、たけし軍団が穴埋めをしたのだが1990年10月25日の放送は例外で、太田プロを独立したばかりの爆笑問題が大抜擢された。 生放送の第一声、太田光は「実は、たけしさんが......死んじゃいましてね」と不謹慎なツカミで番組をスタートさせ「今日我々がやっているということで、カリカリしている芸人も多いんじゃないですか? 特に浅糞キッド ! 文句あるんだったらここへ来いよ!」と挑発を続けた。
それを聞くやボクは家を飛び出しスクーターに飛び乗り、エンディング間際にスタジオに乱入を果たすと放送中にもかかわらず太田と激しく言い争った。
本番終了後も抗議を続け「殿のズル休み」をキッカケに、ボクと太田の確執は決定的になった。
そして1999年元日のフジテレビ『爆笑ヒットパレード』の生放送のエンディング、出演者勢揃いのモブの片隅で浅草キッドと爆笑問題は掴み合いを演じ、西川きよし師匠に“リアル大目玉” を喰らって以降、両者のテレビ共演は完全に途絶えた。
恐れていた「たけしのズル休み」
そんな因縁がありつつ、今回、殿のご指名による共演だった。
事前に番組スタッフから「お2人の起用は、たけしさんのご指名であり、生放送ならではの化学変化を望まれている」との説明を受けた。
そこでボクは今までの2人の確執を説明し、本番冒頭、太田にビンタを喰らわせる決意を打ち明けた。これは本連載で「日野皓正のビンタ事件」を取り上げた際、太田光、松本人志、ビートたけしのビンタ論を敷衍(ふえん)して書いた故、いざ生放送で仕掛けられたら太田はどう受け身を取るのか興味があったからだ。「いきなり、生放送でビンタで始めるってことこそ、展開が未知数だし、それこそ“未来はいつも面白い”ってことじゃない?」
もちろん、スタッフはビンタ案を不安視して即、却下したが、その代わりに事前の顔合わせはせず、本番で初めて対面するというガチ案を呑んでもらった。しかし当日、誤算が生じる。3人の楽屋が同じフロアだったのだ!
ボクの目論見は脆くも崩れ去った。結局、殿の局入りに合わせてボクも太田も同時に楽屋挨拶へと向かい、そこで当然のことながら鉢合わせた。
最初は揃って畏(かしこ)まったが上梓されたばかりの殿の小説『アナログ』を巡って、互いに歯の浮くような感想を述べ合うと「オマエら、わざとらしんだよ!」とそのヨイショぶりを逆に殿にからかわれ、気づけばすっかり3人で和んでしまった。そして本番の数分前、一足先にスタンバイしたボクと太田は、ようやく2人きりで短く言葉を交わした。「キミの小説『文明の子』の文庫版の著者あとがきを読んだけど、日野事件の時のビンタ嫌い発言は意識的なんだね」