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 松本人志を、いや、お笑い界のトップに君臨し、権力を持つ男性芸人たちを取り巻く環境は今は厳しく、特にネットはシニカルだ。 “ネットの声”と称した批判の声はトリミングされ記事になると、あっという間にそれが既成事実として流布される。相手がビッグネームであればあるほどパワハラ告発の拡散効果は高い。

(無論、この本も松本人志というビッグネームが1章あるだけでとても大きな利益であるのだが......)

 70年代、80年代にテレビバラエティを浴びるほど観て育った世代からすれば、選定の「子供に見せたくない番組」において『8時だヨ全員集合!』や『オレたちひょうきん族』が選ばれることは、口笛を鳴らすほどお笑い的には勲章であった。

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 しかし、今はPTAなどの組織ではなく、個人による批判、所謂ノイジーマイノリティによるクレームの集合体が大きな力を持ち、教育団体などとは比較にならないほどの厄介な敵となった。

  一般の視聴者だけではなく芸能界の内側にいる者も、テレビタレントとして、お笑い芸人として、決して超えられなかった人物を、ポリティカル・コレクトネスを武器にすれば天下御免で批判できる、叩きのめせる。“世界標準の良識”は“奴隷が王を討つ”有効なツールとなった。

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公序良俗、良識の波に対しても決して怯まず

 テレビのコンプライアンスから逃れ、Amazonプライムの有料配信で『ドキュメンタル』 『FREEZE』と斬新で自由な番組づくりを進めてみても、そんな聖域にまで松本クレーマーは追いかけてくる。

 手を替え品を替えハラ・ハラ論で芸人を追い込む記者も識者も、決して表現の自由とセットで議論しようとはしない。松本人志は、そのなかで公序良俗、良識の波に対しても決して怯(ひる)まず、挑戦的であろうとしている。新しい括り、縛り、ルールが課されても、新たなお笑いの競技を作り上げようとする。

 それはテレビだけではない。映画に関しても、すっかり次回作の声が聞かれなくなってしまったが、ボクは映画監督としての松本作品を毎度、大評価している。松本人志監督の次回作を、心から期待している。言語を人種を宗教を超え、己の信じる笑いを、銀幕を通じて再び世界に問いかけて欲しい。

「天才」と呼ばれて久しく、今の日本の芸能界の圧倒的な地位をしても......世界的には過小評価だと、ボクは思うのだ。

藝人春秋Diary

水道橋博士

スモール出版

2021年10月18日 発売