『矢印』は遺書のような気持ちで書いていた
松尾 去年ちょっと危ういなと思った時期があったんです。飲むとすぐ酔っ払うようになっちゃって。一杯でベロベロになったり、脚の付け根が痛くなってきたりして、これはヤバいかもしれないと。コロナで家にこもりがちで、飲みながらNetflixを延々見るみたいなのが日常になって、飲みすぎていたのかもしれない。飲めなくなったらいかんぞと思って、休肝日を設けるようにしたんだけど。思い返せば、『矢印』はそういう時期に書き始めた作品だったな。酒への遺書のような気持ちで書いていたところもあります。
安藤 ああ、やっぱり。実際、そのくらいの重さを感じさせる作品でした。
酒が悪者にされちゃうのは、私も好きなので寂しいですけど、過度の飲酒――つまりアルコールに依存する状態には、やはり怖いイメージもある。『矢印』の主人公が、酩酊して自分が妻を殺すところを幻視してしまうシーンや、師匠の破滅的な飲みっぷりの描写は、「これは……」となってしまいます。松尾さんはどうですか。
赤塚不二夫さんの壮絶な飲み方
松尾 俺が本当にまともに相手をしたアルコール依存症の人は、前述のKくんくらいだから、優しいイメージはありますけどね。アル中の師匠を書くにあたっては、赤塚不二夫さんの姿もちょっと頭にありました。あの方は、本当に飲みながら生きていた人だったから。仕事場でも、原稿用紙とかに登場人物のセリフだけ書いて、あとは全部アシスタントに任せてずっと外で飲んでる、という感じだったらしい。たぶん倒れる前の年あたりに、一度だけお会いしたことがあって。まあ、すごい酔われ方をしていました。シーバスリーガルのミニチュアボトルを12本並べておいて、話している最中にキュッキュッキュッと次々に開けては、水割りにして飲み続けるわけ。それが延々と続く。
安藤 確かに、『矢印』の師匠の飲み方を思わせますね。
松尾 でも、どこまでも明るくて、決してダークなほうには行かない。そこがすごいなと思った。俺はもう昔みたいに昼からは飲まないし、舞台や映画をやっている間はそもそも飲めないじゃん。それに救われているとも思う。
(この対談の完全版は、11月6日発売の「文學界」12月号に掲載されています)
プロフィール
松尾スズキ(まつお・すずき):1962年生まれ。作家・演出家・俳優・映画監督・コラムニスト。劇団「大人計画」主宰。『老人賭博』『もう「はい」としか言えない』『108』『人生の謎について』など著書多数。
安藤玉恵(あんどう・たまえ):1976年生まれ。俳優。早稲田大学在学中より演劇を始め、NHK『あまちゃん』など様々な作品に出演。NHKよるドラ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』出演中。