森下典子氏の人気エッセイを原作とする映画『日日是好日』では、茶道の先生役を樹木希林氏が演じた。しかし、樹木氏はこの役を演じるにあたり、「お茶の心を理解するところから役を作ることは諦めました」と、プロデューサーに宣言したという。名女優が、演じる対象への理解を諦めた。その言葉にこめられた真意とは。
森下氏の著書『青嵐の庭にすわる「日日是好日」物語』(文藝春秋)より一部を抜粋し、映画製作時の秘話を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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樹木さんとの初対面
樹木さんとの初対面は、十月半ばのことだった。場所は、都内の瀟洒なホテルの中にある静かなお茶室。その出会いは、まるでテレビドラマの画面の中から、樹木さんがつるりと抜け出て、目の前に現れたようだった。予定より少し遅れた樹木さんは、大島紬に渋めの帯という姿で、出迎えた吉村さんに「まあまあ!」と話しかけながら茶室に入ってきたが、私の顔を見るなり、
「あっ、やっぱり!」
と、ポンと一つ、手を打った。
(「やっぱり」って、何だろう……)
聞いてみたかったが、たずねそびれたまま、聞けず終いになってしまった。
何年か前、「全身がん」という衝撃的な公表をしたのに、その時の樹木さんは、まるであの公表が嘘だったみたいに血色も良く、闊達だった。
挨拶もそこそこに、
「先生、ちょっと」
と、私の手を引き、部屋の隅に連れて行く。私は、「先生」なんて呼ばれ慣れていないので居心地が悪く、体の中で小さな虫がムズムズ動く。
「あの、『先生』じゃなく……」
「だって先生だもの」
と、樹木さんは取り合ってくれない。その場に正座し、
「先生、見ててくださいね」
と、手提げかばんの脇のポケットから朱色の帛紗を取り出して、帛紗の角を取って三角にし、両端を向こうに折り返して、さっと帯の左脇に下げた。
その手の動きを見た瞬間、アッと思った。