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「俺の高座はドキュメントである」

 次のヒット作は、83年に落語協会を抜けた騒ぎで、弟子が真打昇進試験に落ちたことがキッカケですけど、ちなみにこの落ちた弟子の一人が談四楼師匠なんですが、もちろん弟子のためにしたことでも、実は師匠は内心では何かで出るつもりはあったし、そのキッカケを狙って待ってたんじゃないかといううがった見方もしています。

 そこに演出家の談志がいたんじゃないかと思います。

 だから師匠は自ら何か事件を起こしては、それを高座でしゃべるという、要は話題作り。今風にいえば炎上芸かな。

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 また世間で何か起きたら師匠がそれについて何をしゃべるか聴きたくて、それで寄席に行った人は多くいたそうです。

©️文藝春秋

 だからか政務次官をしくじるほどではなくても、師匠は何か騒ぎを高座に持ち込もうとしていて、それもすべては落語にお客さんを呼ぶため。

「俺の高座はドキュメントである」

 一番よくあったのは「遅刻」、もしくは「来ない」。談志ファンで少し追いかけたことがある方なら一度や二度、何かで師匠が来ないという「イベント」を経験されてるはず。

「俺の高座はドキュメントである」

「え~、師匠はまだ来てません」

 しかしそうなると大変なのが前座。また高座で開口一番をつとめる方も大変でした。

 やはり一番大変だったのは志らく兄さん。今やテレビでも売れっ子の兄弟子です。たぶん師匠の遅刻を最もつないだ弟子じゃないでしょうか。

 志らく兄さんは師匠にハマッてた(お気に入りだった)ので、開口一番も常連。

 こんなことがありました。

 師匠の独演会の前座で一席やって下りてきたら、まだ師匠が楽屋入りしてなかったんですよ。それで再び高座へ。

「え~、師匠はまだ来てません」

 それで客席はドッカーン。これは鉄板でしょう。そしてもう一席やって下りてきたら、本当はここで来てくれてれば問題なかったのですが、まだ師匠は来てない。仕方なくまたまた高座へ。

 でもさすがにもうウケなくなってきます。本当に志らく兄さんは辛かったことでしょう。もはや談志独演会ではなく、談志志らく親子会の形です。

 これは言うまでもなく志らく兄さんに非はなく、お客さんにすれば今日はもしかしたら師匠は本当にこのまま来ないんじゃないか、そんな不安も沸々と客席にわいてきて、中には何だよこれ、という怒りすらあったでしょう。あとは志らく兄さんへの同情です。

 師匠、早く来て下さい、何とか、何とか志らく兄さん持ち堪えて下さい、そう願いましたが願いは空しく、客席からヤジがとびました。

「早く談志を出せー!」

 あちゃー、それはわかるけど言わないで言わないでお客さん、こっちだって必死なんだから……でもそう思ったけど何かどっかで聞いた声。

「談志は来ないのかー!」

 その声の方をよく見たら、何と師匠じゃありませんか!

「出ないなら帰るぞー!」

 何をヤジってるんすか師匠! 早くこっちに来て着替えて出て下さいっ!

 そんなこともありました。その晩はミッチリ遅刻したのが効いたのか、やけにお客さんの安堵感が高く、とってもよい「親子会」になりました。