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「始めます……」

「では、杓立てから火箸を引き抜きます。左手に持ち変えて手を伏せ……棚の脇に少し出して置きます。……茶入れを右に寄せて……金の茶碗をとって、置き合わせます。それから建水を両手で取って……」

 私は横に座り、手順を説明しながら、樹木さんの手の動きに驚いた。その手は、私の説明より先に動いていく。樹木さんはもう点前の流れをつかんでいたのだ。何度か、ふっと手が止まり、迷う場面があったが、私が「水指の蓋」などと言うと、すぐに動き出す。お点前が最後まで終わった。

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「もう一度、やるから見てて」

 樹木さんは、そのまま二度目の点前を始めた。もうほとんど手が止まることはなかった。

 私は自分の目で見たものが信じられなかった。恐ろしい記憶力……。いや、樹木さんは「順番」を記憶したわけではないような気がする。信じがたいが、私の点前を丸ごとコピーし、再現しているように見える。

 二度目のお点前が終わると、樹木さんは、「もう一回、やります」と、言った。

 そばで見ていた森井さんが「何も言わずに見ていてください」と私に耳打ちした。私は黙って見ていた。点前の精度が上がっている。

©文藝春秋

 樹木さんは三度目の点前を終えると、

「わかりました……」

 と、静かに頷いた。

(えっ、これでおしまい?)

 呆気にとられた。

 明日は撮影。このまま、本番を迎えるのだろうか……。

 樹木さんは、器に汲んだ水をこぼすまいとするかのように、そっと立って、一切おしゃべりもせず、そのまま愛車オリジンを運転して帰ってしまった。

 ……K子さんが、黒木さんと多部さんの稽古の後で言ったことを思い出した。

「私の動きを見て、すぐ同じようにできるの。女優さんて、そういう能力に長けている人たちなのね」

 吉村プロデューサーも、「能力」という言葉を使った。

「空間認知能力が飛びぬけているんですよ、あの人たちは」

 空間認知能力とは、物の位置、方角、姿勢、形状などを一瞬にして正確につかむ能力だ。その秀でた能力で人の動きを的確につかめるとしても、たった三回見ただけで、濃茶の点前を丸ごとコピーするなんて、神業だった。