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――結成のきっかけはどういうことだったんでしょう。

上島 渡辺正行さんが主催するお笑いライブ「ラ・ママ 新人コント大会」に出演するために、僕とジモンとリーダーと、いまは電撃ネットワークをやっている南部寅太(現・南部寅弾)さんの4人でダチョウ倶楽部を結成しました。2年ほどで南部さんが抜けて、いまの形になりました。

若かりし日のダチョウ倶楽部の3人

――南部さんが1987年に脱退されてダチョウ倶楽部が3人になってから30年以上になります。メンバー同士でケンカしたりするんですか。

上島 最近はさすがにないですけど、若い時は時々ありましたね。とは言っても、つかみ合いのケンカになったのは、酔っ払って割り勘がどうとかそんな小さい話ですけど(笑)。でもまぁそれも40歳くらいまでで、今はリーダーが「楽屋が3人だとうるさい!」っていやがるくらい仲良くやっています。

――芸論を戦わせたりはしないのですか?

上島 あんまりそういう話はしないねぇ。一緒に収録があっても「さっきのトークはこうした方がよかった」みたいな話はしない。3人とも意外と優しいというか気を遣うタイプだから。

 

僕は他の誰よりも“子分肌”

――上島さんのその優しい性格が、後輩芸人にも慕われているんですね。

上島 ありがたいことに、誘ってくれる人がいっぱいいるんですよ。自分で思うのは、僕は他の誰よりも“子分肌”っていうこと。相手が先輩の時はもちろん、後輩に対しても気持ちは“子分”。「竜兵会」なんて言ってもらって、有吉も土田も劇団ひとりも後輩だけど、あいつらが売れていくのが素直に嬉しいんですよ。ちょっと売れすぎだろとも思うけどね(笑)。

――体育会系のイメージが強いお笑い界で“子分肌の先輩”というのは素敵な性分ですね。竜兵会は解散か!? と話題になったこともありますが、最近も集まったりはしているんですか?

上島 別に正式な組織じゃないから解散ってこともないんですけど、最近は集まることもさすがに減りました。もともとは20年前くらいに飲み仲間で野球チームを作る時に、名前を「竜兵会」ってしただけなんです。たけし軍団とかそういうのに便乗してね。東高円寺にあった「野武士」っていう居酒屋に毎日のように集まってましたよ。土田がやっと「銭形金太郎」(テレビ朝日系)に出始めた頃で、有吉は猿岩石ブームが終わって全然仕事がなかったし、劇団ひとりもまだ全然売れてなかったなぁ。