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大学、就活、社会人と進むにつれ地位が落ちていく

 トークン生活も大学、就活、社会人と進めば進むほど勉強の比重は下がってゆく。筆者の地位もそれに連動して落ちていった。大学では周囲と成績を比較し合うような機会は無いし、就活ではいくら筆記で上位に入ろうがダメだった。

 機械的な物差しがない所では人による主観的評価が物を言う。これは突き詰めれば「正常さ」を競うゲームであり、主流からの逸脱が大きい者ほど不利になる。

 もちろん落ちた原因が障害にあるかは分からない。採用側にそれを反証する義務が無い以上、理由は確かめようがない。これが人的評価と筆記試験の大きな違いであり問題点でもある。何にせよ、就活では障害者枠以外全滅したのは確かだ。

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 その末に入った市役所の労働環境は恵まれていた。そこで素直に作業をこなしていれば何の問題もなかっただろう。だが無意味さへの耐性の低さが自らの首を絞める事になる。

 ゴールが不明な無数の会議、全て紙と判子で数日かけて回す起案、意思決定ラインの混線による無意味な手戻り、検索性が乏しくめくるのも難儀する分厚いバインダーの山。

 これらは些細な工夫で大幅に減らせる。そうすれば浪費していた膨大な時間を本来業務たる政策の企画立案に振り向けることができ、市民の利益になる。そう考えた筆者は度々業務改善を提案した。せっかく電子決済システムがあるのだからもっと使おう、といったことだ。

 だがこれは「障害者枠の若手」というロールの振る舞いとしては正しくなかった。「入れてもらっている」トークンの分際で誰も期待していない提案を繰り返す筆者の立場は急速に悪化し、仕事ぶりや言動も悪意を持ったものとして解釈されるのがデフォルトになった。

「仮に効率を重んじるならそもそも障害者採用なんかしない」

 ヘルパーさんを迎える時間の都合上、酒の席に参入できないが故の不利益も顕在化した。飲みの場にいない事で、一層不利な評価が醸成され固定化されていく。

 とにかく手を抜くことしか頭に無い。自分は特別だと思っている。何でも障害のせいにして甘える。こうしたイメージを後から覆すのは不可能だ。ある時こう言われた。

「確かにここは非効率な組織かもしれない。でも仮に効率を重んじるならそもそも障害者採用なんかしないし、君が席を得ることも無かっただろうね」と。これは心を完全に折られると同時に最も腹落ちした言葉でもある。