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 上司も同僚も個々人は皆悪い人ではなかった。だからこそ、「自分はそこにすら適応できない」という絶望が余計に深まった。障害者雇用率の上で2人分として算定される以外に何の貢献もできない。ここに居ても自分も周りも得しない。結局何一つ変えられないまま障害者を固めておく部署に異動となり、やがて退職した。

 その後前述の『サウスパーク』を見返すと、キャラクターとしての「トークン」が常識人で居続ける意味も違って見えた。彼は自らの属性に鑑み、そこから逸脱した場合に払うことになる代償の大きさを認識しているのではないか。脆弱な立場で身を処していくために常に善良さの鎧を纏わざるを得ないのではないか。そう思うと彼に強く感情移入してしまった。

多様性を推進すると「誰も得してない」状況も発生しうる

 ここまで述べてきた具体例からどんな示唆を導けるだろうか。

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 ひとつには、多様性推進の理由に生産性向上を挙げるのは危ういということ。マイノリティが組織に新しい視点や創造性をもたらしうることは否定しない。だがそれらの便益がすぐさま得られると期待すると裏切られるだろう。その段階に至るまでの間には、上述のような「誰も得してない」と感じられるような状況も発生し得る。

 ではトークンマイノリティが1人や2人居ても無意味で有害なだけなのか。インクルージョンなんかとっととやめた方が良いのか。そうは考えたくない。

 トークンには目立つことでそのマイノリティグループの存在を社会に認知させる意義がある。完全に不可視化され忘却されるよりは僅かでも交流と対話の余地が残るだけましだ。トークンのこの部分の貢献はもっと評価されていい。

 好成績や賞状を獲得し、PTAや教育委員会のお偉方に模範的な生徒として紹介される。貴重な展示物として様々な写真に収まる。確かにそれには根本的な変革を妨げる面もあろうし、その意味で筆者は何らかの構造の強化に加担したとも言える。だが1つの見本となって後進に道を作ったとも考えられる。もし車椅子の生徒が継続的に母校に入学していけば、その連鎖の先にいつか本質的な変化が生まれるかもしれない。