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兼ね備えた才能と美貌と野心…それでも“生涯独身”だったココ・シャネルが晩年に抱いていた“意外な思い”

『独身偉人伝』より #1

2021/11/23

バルサンの友人・ボーイ・カペルと急速に惹かれあい…

 バルサンは馬好きで、シャネルも乗馬を習い、見事な乗り手になります。その際、彼女は何とズボンを穿(は)いて馬に乗りました。現代では女性の乗馬服もズボンがふつうですが、当時、ズボンは明確に男性の服、女性は乗馬の時にもスカートで横座りするのが当たり前で、ズボンという異性装はスキャンダラスですらありました。しかしそれがよく似合っていた。

 ズボンを穿いたこと自体は、上流階級の作法を知らない彼女の無知の産物だったともいわれています。とはいえ彼女は仕立て屋に細々(こまごま)と指示しており、シンプルな男装をかえって女性的魅力を引き立てるように着こなすあたり、この頃からファッション・センスが卓越していたことを示しているでしょう。

 バルサンはプレイボーイで、シャネルをやきもきさせましたが、彼女の方も1909年にバルサンの友人ボーイ・カペルと知り合うと急速に惹かれていきます。カペルはハンサムで裕福な英国紳士でシャネルをパリのアパルトマンに住まわせ、1910年に彼女の最初の店となる「シャネル・モード」を開く資金も出してくれました。この前後、バルサンとカペルは彼女をめぐって恋の鞘当てをし、そのおかげで彼女は自分の店を持てたのでした。

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身分の違いが障害となり、カペルは英国貴族の令嬢と結婚

 シャネルはバルサンの館にいたころから服装に独自の工夫を見せ、殊に帽子で人々の注目を集めていました。彼女が作った帽子は、当時の基準からすると小さめでシンプルなタイプで、一種のアートとして評価されました。というわけで彼女の最初の店は帽子屋でした。帽子は上流階級の人々には不可欠のアイテムです。

 カペルは洗練された趣味の持ち主で、彼との生活を通してシャネルのセンスはいっそう磨かれていきました。2人で出かけた先の、漁師が着ていた丈夫な布地を高級服に使用したり、ヨットに因んだ柄を取り入れるなど、大胆な発想も2人の楽しい思い出が絡んでいる模様。

 1915年、ビアリッツに本格的な店を出した彼女は、さらに多くの上流階級の人々や芸術家とも知り合っていきます。時々アヴァンチュールもあり、ロシア貴族のドミトリー・パヴロヴィチ大公とはロマンチックな関係を結びました。しかし本命はあくまでカペルで、彼女は結婚を望みましたが、身分の違いが障害となり、カペルは1918年に英国貴族の令嬢と結婚します。

 しかしその後も2人の関係は続きました。それが終わるのは1919年のクリスマス直前に、カペルが交通事故で落命した時でした。シャネルは悲嘆にくれ、一時は店を閉めることも考えますが、けっきょくは店が2人の生み出したものだと思い直し、仕事に邁進することで悲しみを克服していきます。

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