文春オンライン

ツイッター社長に聞いてみよう

「これが最後の機会だ…!」とマイクロソフトから飛び出して起業…直面した“一番ショックだったこと”

「これが最後の機会だ…!」とマイクロソフトから飛び出して起業…直面した“一番ショックだったこと”

ツイッター社長に30の質問 #24

note

 ちょうど10年前、私は2度目の起業をしました。

 30代でリクルートを飛び出し、レストランガイドの事業を手掛けた時に続く挑戦でしたが、原動力は「何かを作ってみたい」という自分の中にある少年の心みたいなものだったと思います。当時47歳。精神力や忍耐力という面を考えると最後の挑戦になるという思いもありました。

 もちろん、人によっては50歳でも60歳でもチャレンジができる方もいらっしゃると思いますが、私は会社をつくるなら40代が最後という気持ちが強かったのです。

ADVERTISEMENT

「自分のテーマに自分で手をつける最後の機会だ」

 取り組む事業に選んだのはクラウドファンディング。当時は、アメリカでクラウドファンディングが立ち上がり、大きくなり始めていましたころで、映画や音楽といったジャンルを主戦場にしていたKickstarterという会社が勢いを増すのを横目で見ながら「これだ。これをやってみたい」と感じました。「世のため人のためになることをしたい」という自分のテーマとすごく一致するビジネスモデルだなと思ったからです。

 

 そのころ、在籍していたマイクロソフトからはシアトルの本社に来ないかと誘われていました。もちろん、それはそれでありがたいオファーでしたし、40代後半にさしかかるという年齢での起業には怖さもありましたが、自分のテーマに自分で手をつける最後の機会だ、という気持ちで思い切りました。

 そうして作った「ドリーム・フォー」という会社は人を採用する、クラウドファンディングのプラットフォームのソースコードを開発するといったことまで含めて文字通りゼロからのスタート。昔の先輩や仲間に「悪いけど手伝ってくれない?」と声をかけてパートタイムで手伝ってもらったり、インドの開発者を見つけてソースコードを作ってもらったり。自分で絵を描いたすごく乱暴な仕様書を書いて、アルバイトの人にしっかりとした仕様書に落とし込んでもらったこともありました。今思い出すと涙ぐましいですね……(笑)。