高津が二軍監督時代に指導した選手たちが躍動した理由
現在、ヤクルトの4番を打つ村上宗隆はもとより、セットアッパーとして大活躍した清水昇、先発として来季以降の飛躍が期待される高橋奎二、核弾頭としての役割を果たした塩見泰隆らは、高津が二軍監督時代に指導した選手たちである。とくに高橋を育成するにあたっては、中9日からスタートさせて、徐々に登板間隔を短くしていくというプランを実行していった。
高校時代、1試合に120球くらいを3日連続で平気で投げていた投手だったとしても、二軍では1試合わずか60~70球くらい投げたくらいでバテてしまうことなど決して珍しいことではない。打者のレベルがあまりにも違い過ぎるからだ。野球名門校と言われる高校でも、「気にすべきは上位から中軸までで、下位は安全パイ」というケースは往々にしてある。
けれどもプロは違う。アマチュア時代にはクリーンナップを打っていた打者が、下位を打っていることは珍しくない。それだけに投手は1球1球考えて投げなければ、簡単に打たれてしまうし、走者を出せばクイックで投げたり、配球面で考えなければならないことが山のように増えてしまう。結果、肉体面、精神面における消耗度がグンと上がる。
6年前の忘れ物をチーム一丸となって取りに行く
だからこそどんなに才能溢れた高校出の投手でも、プロの世界に入った直後は疲労度を考慮しながらの起用を余儀なくされてしまう。高津は高橋を含めたプロでの経験の浅い投手の肩やひじの張り具合をチェックし、どのようにすれば疲労が回復するのか、短い間隔で回復させるにはどんなケアが必要なのか、コンディション面で常に気を配っていた。
今年のヤクルトには、投手陣で戦力的なダメージを与えるほどの離脱者がほぼいなかった。その背景には、高津が二軍監督時代に取り組んでいたことを、今なお継続している点を見逃してはならない。
9月7日の首位・阪神との試合前、高津は選手たちへの4分半の訓示で「絶対大丈夫」を繰り返した。この言葉を力に変えたヤクルトは9月14日以降、球団新記録となる13戦無敗で首位に浮上。今年のヤクルトの終盤の勢いを象徴したこの言葉は、後にグッズ化されるまでにいたったのである。
ファイナルステージを勝ち抜いた高津監督が目指すのは、自身が選手時代だった2001年以来の日本一だ。
「全国のスワローズファンのためにも全力で戦いたい」
15年にヤクルトがソフトバンクに挑んで1勝4敗で敗れたとき、高津は一軍投手コーチだった。野村野球が正しいことを証明するためにも、6年前の忘れ物をチーム一丸となって取りに行くはずだ。