プロ野球のヤクルトスワローズは2021年、6年ぶり8度目のセ・リーグ制覇を果たし、クライマックスシリーズも勝ち上がった。高津臣吾監督の手腕を、かつての恩師である野村克也は生前、どう評価していたのか。「野村の教え」を実践した高津監督の野球を分析していく。
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野村野球を骨の髄まで学んだ8年間
2勝1分。まさに圧勝だった。ヤクルトはクライマックスシリーズのファイナルステージで、巨人を寄せ付けない強さを見せつけた。試合後、高津監督はリーグ優勝時と同じく5度、宙を舞った。神宮の胴上げを悲願としていた指揮官は、「念願が叶いました」と感慨深げに話した。高津の監督としての力量は未知数だったが、前年最下位のチームを優勝に導くあたり、監督としての能力は高いと見るべきだろう。
高津が90年にヤクルトにドラフト3位で指名されたとき、彼より注目されたのは同じ亜細亜大学で史上最多となるプロ8球団から競合指名を受けた左腕の小池秀郎だった。小池と2本柱だった高津ではあったが、当時の実力、注目度は圧倒的に小池のほうが上。それでも高津はヤクルトでは「即戦力の先発候補」として期待されていた。
当時のヤクルトの監督の野村克也の下、91年から8年間、野村野球を骨の髄まで学んだ。このことが後の野球人生に大きな影響を与えるとは、ドラフト指名時、高津は露ほども思わなかったに違いない。
潮崎が投げていたようなシンカー、お前さんも投げられないか?
高津は93年からクローザーを務めたのだが、そのきっかけは前年の西武との日本シリーズにあった。3勝4敗でヤクルトは惜敗したが、西武の潮崎哲也がサイドスローから投じるシンカーに、ヤクルト打線は相当手こずった。シリーズ終了後の秋季キャンプで、野村は高津を呼んでこんな話をした。
「潮崎が投げていたようなシンカー、お前さんも投げられないか?」
潮崎同様、高津がサイドスローで投げているところに、野村は着目した。高津も当時からすでにシンカーを投げていたものの、潮崎と比べれば完成度は天と地ほどの差があった。当初は「無理です」と否定していた高津だったが、野村はこんな提案をした。
「潮崎と握りが違ったっていい。全力で100キロのボールが投げられればいいんだ。これを覚えたら、ウチのクリーンナップだって打てない」