父・勘三郎との“同じ癖”
その日のラジオ収録ゲストは、中村屋の部屋子出身俳優で、故・中村勘三郎が「3人目のせがれ」と呼んで可愛がったという、七之助より一回り年下の中村鶴松だった。小学校3年生の時に野田秀樹作の歌舞伎『野田版 鼠小僧』に児童劇団から子役で参加、オーディションでは「思いきり野田を蹴れ」とだけ言われ、本気で蹴ったら合格した、と笑う。
七之助は「縁あってうちの父の目に留まって、中村屋に入ってね。鶴松は立役も女方も両方できるから。父は鶴松を役者として認めていたから、父がいなくなって不安ではあるけれど、頼もしい限りですよ」と目を細める。
錦秋特別公演の巡業の間、何かと七之助にいたずらを仕掛けられたエピソードをラジオで披露し「お兄さん達は、僕にはドSなんですよ」とボヤく鶴松に、番組アシスタントのABCアナウンサー・ヒロド歩美が「七之助さんに怒られたことなんてありますか?」と尋ねると、鶴松は「そりゃ稽古でもしっかり怒られますよ。七之助さんは怒るとおでこを掻くから、それを見ると空気がピーンとします(笑)。怒るとおでこを掻くのは、お父さん(勘三郎)と同じ癖ですよね」と指摘した。
「えっ、俺、そんな癖があったのか。自分では気がつかないものだね」。七之助は驚き、父の思い出を話し始めた。
「俺はよくセリフを噛んだりするけど、うちの父親が噛んだのは見た事なかったな。稽古でも、本読みの時にはもう台本は全部覚えておけ、台本は早く手放せと言われてね」。勘三郎は、稽古でできないことは本番でもできないと言い、さっさと台本を覚えて舞台で動く稽古を好んだという。「父親がそういう人だったから、今もね、自分が台本を全部覚えてから稽古に臨んで、本意気中の本意気なのが後輩たちに伝わるようにと。そうすると後輩たちも、あ、いけないなと感じて引き締まるからね」
「野田さんの芝居の初演の時、(父親に)怒られたよ俺も」七之助はマイクの前で続けた。「いや、もうすごい怒り方するから。公演中に舞台の上で怒り出したのが目でわかるのよ。父親と俺で賑やかに掛け合って一緒に屏風の裏に消えるんだけど、屏風の裏に入った途端、耳元で『もう役者やめろよ』って」
七之助の語りに集中し、すっかり魂を持っていかれていた10人ほどのスタッフ全員の口から、「おお」と、ため息ともうめき声ともつかぬ音が漏れた。自分たちも、耳元で勘三郎に凝縮した怒りの言葉を囁かれたかのようだった。