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——私自身、2020年1月に夫(評論家の坪内祐三)を亡くしたばかりで、毎週、食い入るように読んでいました。小池さんの深い悲しみに触れることで自分も慰められていた気がします。読者の反響もとても大きかったそうですね。

小池 1回、2回目はぽつぽつという感じでしたが、4回目を過ぎたあたりから、掲載当日に編集部にメールやFAXレターがわーっと届くようになって。郵送されてくる手紙もふくめて、そのつど、担当者が丹念に私あてに送ってくれたので、一つ残らず目を通しました。連載中に届けられたメッセージは軽く1000通を超えます。

 夏ごろからは回を追うごとに、大切な人との死別を経験した方からのものが増えてきました。伴侶はもちろん、親や兄弟姉妹、恋人、ペット。とりわけ切なかったのは、子どもを亡くした方からのものです。亡くなった原因も病気だけではない、事故、自殺、さまざまでした。

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以前の自分に戻れない

小池 悲しい気持ちは易々と他の人には言えない、もう何も言えなくなってしまった、ってみなさん書いてこられました。死に別れた直後は、どれだけ泣こうが嘆こうが、受け入れてもらえたけど、半年、1年、2年たつうちに、個人の喪失体験は完全に過去の出来事になってしまうんですね。当事者にとっては未来永劫続く悲しみなのに、他者からは、いつまで悲しんでるの、元気出さなきゃだめじゃない、と言われてしまう。たとえつらい胸のうちを明かしたところで、経験のない人を困らせるだけだし、とんちんかんな励まし方をされるだけだとわかっているので、どうしても遠慮してしまう。それがふつうだと思います。

小池真理子著『月夜の森の梟』朝日新聞出版、2021年

——死別を経験した方は、10年たっても悲しみは全く変わらないと言われます。ずっとこれが続くかと思うと気が遠くなりそうです。

小池 本当にそうですね。悲しむ気持ちを無理に隠す必要はない、とは思いますが、がまんしてしまうのもよくわかります。強烈な喪失体験は、周囲からの隔絶と一緒ですから。自分だけ別の世界に放り出されたみたいな、あの感覚です。いつまでも打ち沈んで嘆いていたら、2度と誰にも相手をしてもらえなくなるような気がして、無理して元気を装うのです。私も同じです。よく笑うし、よくしゃべるし、食べるし。でもそれは、死別以前の自分と同じ自分ではないんですね。明らかに違う。

 彼が生きていたころの時間と、死んだ後の時間が全然つながらない。別ものになっている。この、経験したことのないような居心地の悪い感覚は、和らぐことはあっても、一生続くのではないかと思っています。

土曜日の朝は、誰にも見られないところに新聞を持っていって、私の連載を読んで、涙を流している、週に1度、思いきり泣いています、と書いてこられた人もいました。