「寄り添い合って、一緒に泣きたかったから」
——ご自身がつらいときに、悲しみにあふれた手紙を読むのは大変ではなかったですか。
小池 ううん、全然。自分と似た経験をした人の気持ちを私も知りたいから。寄り添い合って、一緒に泣きたかったから。1度もお会いしたことのない読者とつながっている、というのはふしぎな安心感をもたらしてくれました。どんどんファックスで送られてくるので、ファックス用紙代がかさみましたけど(笑)。
——ご夫婦ともに作家だった吉村昭さんは、妻の津村節子さんに、「3年間は書くな」と遺言されたそうです。書くだろうという前提なんですね。藤田さんは自分が亡くなったあとで小池さんが書くことについて何かおっしゃいましたか。
小池 藤田も当然、私が書くことは予想していましたね。でも、一方で、自分のことや自分の死を軽々しく書いてほしくない、っていう気持ちは強かったみたいです。同じ小説家なので、自分のことを書かれる場合には、正確さを求める。私がもし、何か勘違いしたまま、彼の内面を表現したりしたら、すごく腹が立つだろうし、逆の立場でもそれは同じ。だから、その気持ちはよく理解できました。
『月夜の森の梟』には、彼についてというより、彼がいなくなった後の私の思い、心象風景を描いたので、問題ないかなと思ってます。
彼のこと、私たち夫婦のことを小説に書いてほしいという依頼は来ていますが、全部、お断りしています。でも、私も作家である以上、厳しい闘病のすえ、同業の夫を亡くすという、自分の人生にとって大きなできごとを、今後、絶対に書かないかと言われれば、それはないような気がする。
それとわからぬ形にするのか、わかってもいいと思って書くのか、今の時点ではなんとも言えません。少なくとも、私小説として書くということはあり得ませんが、いずれ何らかのかたちで作品化したくなる時がやってくるかもしれません。