「小池真理子『かたわれ』の死を書く」(聞き手・佐久間文子氏)の一部を公開します。(月刊「文藝春秋」2021年12月号より)

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 作家の藤田宜永さんが肺腺がんのため亡くなったのが2020年1月30日。妻の小池真理子さんとは、おたがいを「かたわれ」と思う、強く結ばれた関係だった。最愛の夫を見送った心境を『月夜の森の梟』(朝日新聞出版)につづった小池さんに、波乱に富んだお二人の37年について聞いた。

「今しか書けないものを書き残しておこう」

——『月夜の森の梟』の連載が朝日新聞で始まったのは、藤田さんが亡くなって半年もたたない時期でした。小池さんご自身、看病の疲れが抜けず、何より突然とも言えるかたちで伴侶を亡くされて、気持ちの整理もつかない中での執筆だったと思います。死別の悲しみの中にあって、その悲しみに向き合って書くことに迷いもあったのではないかと思うのですが、よく決断されましたね。

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小池 藤田は通夜も告別式もしないでくれと言い残していました。故人の遺志は尊重するつもりでしたが、夫婦ともに作家という立場上、私はそれだけは無理かもしれないと思っていました。実際、彼の死が報道されたとたん、お別れしたい、と言ってくださる編集者や作家仲間が多く集まって。急遽、通夜や告別式の代わりに弔問の場所を設けたんです。朝日新聞社から、追悼文を書いてほしいという電話がかかってきたのもそこ。私は放心状態で、まったく書ける状態ではなかったため、親しい編集者に断ってもらいました。

死別の悲しみの中、『月夜の森の梟』の連載を始めた小池真理子さん

 依頼してきた記者の方からは、書けるようになったら、お書きください、お待ちしています、と言われて。10日くらいたってからだったと思いますが、独りで井戸の底の、暗がりの中でぼーっとしていたような時に、ふっとそのことを思い出したんです。作家が、長く連れ添った作家の伴侶を亡くした気持ちを書けずにいるわけがない、今しか書けないものを書き残しておこう、と思いました。書くのはすごく怖かったんですが、いったん書き出したら、ふしぎなほど言葉があふれてきました。

 追悼文が掲載されたのは2月19日。読者からのメールやファックス、手紙の反響がすごかったみたいです。それから2カ月くらいたった4月半ば。朝日の旧知の記者から、土曜版「be」の紙面で、藤田さんについて回想するエッセイを連載してみませんか、と打診されました。