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2021/11/28

 同作のラストシーンでは、英二の盟友でもあった科学者カルロスが、小惑星の上に建てられた英二らの墓を訪れ、同行した女性学者ミリーに、「もし、ぼくがあなたより先に死ぬような事があったら……ぼくの墓を、この小惑星の上につくってくれないか」と頼むが、ミリーは「いや!」「絶対にいや!」「好きな仲間たちのお墓をつくるのは、もうごめんだわ」と拒絶する。カルロスの言葉も、ミリーの言葉も、特攻で亡くなった若者たちへの小松の思いを代弁しているのだろう。戦争がもう少し続けば自分も同じ運命をたどったであろう人々への深い哀悼と連帯感、そして「あんな犠牲を強いられるのはもうごめんだ!」という強い拒絶感――。

 一方、「地には平和を」では、小松は歴史の改変をもくろむマッド・サイエンティストにこんな過激な言葉を言わせている。

「日本の場合、終戦の詔勅一本で、突然お手あげした。その結果、戦後かれらが手に入れたものは何だったか? 二十年をまたずして空文化してしまった平和憲法だ!」

「そんなことなら、日本はもっと大きな犠牲を払っても、歴史の固い底から、もっと確実なものをつかみあげるべきだった。(中略)日本という国は、完全にほろんでしまってもよかった。国家がほろびたら、その向うから、全地上的連帯性をになうべき、新しい“人間”がうまれて来ただろう」

小松左京『地には平和を』角川文庫、2019年

 自ら直接執筆することがかなわなかった「日本沈没」の第二部についても、自伝の中で小松は、国土を失った日本人たちが「無領土国民、民族としての伝統的なアイデンティティを維持しながら、むしろ十八世紀のナショナリズムの誕生以来の人類社会の停滞性を緩和していく大きな役割を果たすんじゃないか」との構想を語っている。

なぜ「SF」だったのか

 戦争への強い拒絶感と犠牲者への深い哀悼。その一方で「戦争、あるいはそれに匹敵するほどの災厄に総力で立ち向かうことが、国家の枠を超えた新たな日本人を生み出す」という信念――。小松の内面は明らかに矛盾し、分裂していた。

 

太田啓之氏「『日本沈没』小松左京の遺言」全文は、文藝春秋「2021年12月号」と文藝春秋digitalにてお読みいただけます。

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