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「日本の救援組織は、官、民、軍ともに、おどろくほど勇敢だった。――いくつかの実戦で、死地をのりこえてきたベテラン海兵隊員でさえ、二の足を踏むような危険な地点にも、彼らは勇敢につっこんで行った」

「私は、彼らは本質的にカミカゼ国民だと思う。――あるいは、彼らはことごとく勇敢な軍人だというべきかもしれない。――柔弱といわれる若い世代さえ、組織の中では同じだった……」

 特攻に赴いた若者たち一人ひとりの、死に際の本当の思いについては、小松も私も知りうる立場にはない。しかし、小松がかつての戦争で「日本の未曽有の危機の中、究極の自己犠牲を行った若者たち」の中に、日本人としての最高の「美質」と「可能性」を見いだしていたことは疑いえない。

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小松左京による壮大な思考実験

「日本沈没」では、現場の救援組織隊員たちだけではなく、政府の中枢にある政治家や官僚たちも、私心を捨てて全力で己の責任を全うし、一人でも多くの日本人を救おうとする。これについては「哀しいほど実感が涌かない」(評論家の長山靖生氏「日本SF精神史」)との指摘もあるが、現実を単になぞるだけならば、「日本沈没」も先の戦争のような「バッドエンド」で終わるしかなかったはずだ。

 政治学者の片山杜秀氏が著書「見果てぬ日本」で指摘したように、小松が「日本沈没」で試みたのは、未曽有の国難に対して、最前線で立ち向かう人々だけではなく、政府の首脳の一人ひとりに至るまでが、かつて特攻に赴いた若者たちのような自己犠牲の精神を貫くのであれば、日本は「真の総力戦」を完遂し、「おとなの民族」へと脱皮しうるかもしれないという、壮大な思考実験だったのではないか。

「さよならジュピター」と戦争体験

「さよならジュピター」は22世紀の未来、太陽に突入してくるブラックホールの進路を変えるため、人類が総力を挙げて木星を爆発させ、ブラックホールの進路を変えようとする物語だ。そこには「太陽系を救うために消えてゆく木星」と「計画を成功させるため、木星と運命を共にする主人公英二」という「二重の自己犠牲」が組み込まれている。

小松左京『さよならジュピター』徳間書店、1983年

 福島県立医科大教授でSF研究家でもある下村健寿さんによれば、小松は晩年、下村さんに対して「『さよならジュピター』には自分の戦争体験と、その時の『死』に対する想いが反映されている」と明かしている。