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 60年に書かれた小松のSF第1作「地には平和を」は、まさにこの時の思いを反映させた作品だった。「昭和二十年八月十五日で戦争が終わらず、本土決戦へと突入したパラレルワールドの日本」で、米軍に対して絶望的な戦いを挑む少年兵を描いた作品だ。

 当時の小松は、京都大学文学部イタリア文学科を卒業後、さまざまな職業を転々としつつ、作家を目指していた。著書「SF魂」によれば、「戦争についての作品を書きたい」という切実な思いを抱きつつも、「旧来の文学の方法でこうした(戦争への)重層的な思いを表現しようとすれば、それはたいへんな作業になるし、重苦しくて長いものになるのは自分でも分かっていた。そんな誰にも読まれないような作品を書くのはごめんだ」と、煩悶していた。

『本土決戦』『一億玉砕』という言葉に死を覚悟していた

 そんな日々に光をもたらしたのが、創刊されたばかりの「SFマガジン」との出会いだった。「SFの手法を使えば、現実にあった歴史を相対化することができる。『本土決戦で泥まみれのゲリラ戦を戦っている自分』という、あり得たかもしれないもう一つの未来を描くことで、戦争を経験していない後ろめたさにも落とし前をつけながら書くことができる」(「SF魂」より)。そう直観した小松は、わずか3日で400字詰め原稿用紙80枚の「地には平和を」を書き上げ、「第1回空想科学小説コンテスト」に応募。選外努力賞を受賞し、作家「小松左京」のデビューへとつながった。

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小松左京『日本沈没 決定版【文春e-Books】』文藝春秋、2021年

「日本沈没」の執筆動機についても、小松は著書「SF魂」で、「僕は『本土決戦』『一億玉砕』という言葉に死を覚悟していた、あの絶望的な日々は忘れることができない」「玉砕だ決戦だと勇ましいことを言うなら、一度くらい国を失くしてみたらどうだ。だけど僕はどんなことがあっても、決して日本人を玉砕などはさせない」と語っている。

 一方、小松は執筆にあたって参考にした本として、吉田満著「戦艦大和ノ最期」を真っ先に挙げる。「艦長以下がいかに毅然としていたか。乗組員たちがどのような気持ちで、どう振る舞ったか。沈没のクライマックスを書く上で、いろいろ刺激を受けた」(「SF魂」)としている。

日本人への「嫌悪と敬意」

「あまりにも情けない戦争」をした日本への憤りと、「毅然とした自己犠牲」を貫いた日本人への敬意と誇り。小松の内面には相反する二つの思いが渦巻いていた。

 特に強いこだわりが感じられるのが、「特攻」で死んでいった人々への思いだ。小松は、20世紀の総力戦をまともに戦うだけのビジョンや戦略をついに持ち得なかった戦前・戦中の日本政府や軍部を嫌悪すると同時に、「特攻」で日本人が示した自己犠牲に対しては、深い共感と敬意を隠さなかった。「日本沈没」では、米軍の日本人救出作戦司令が、メディアのインタビューに応える形でこのように語っている。