――大変多くのヒット作に恵まれた時代ですね。
市原 僕は編集者の仕事がどういうものか、まったく知らずにこの世界に入ってきて、「ここがお前の席だ」と案内されたときに「あだち充先生はどの席で描いてるんですか?」と尋ねたくらいです(笑)。ただ、1年も仕事をしていれば、編集部のアラが見えてきます。僕にとってはゲームなんですよ。スポーツと同じように、この少年漫画の世界にもルールが存在する。「真理」と言ってもいい。どうすればこのゲームに勝てるのか? 僕は人生を通じてずっとゲームの根幹を成すものに興味があり、そのキモを探すのが好きだったんですね。それで小学館の倉庫にいって、創刊号からバーッと目を通しました。温故知新という言葉が好きなんですけど、過去を知らなければ未来を見据えることもできないので。
新人育成から遠ざかっていたら勝てない
――そこで市原さんが気づいた“キモ”とは?
市原 新人育成です。優秀な編集者を育成・配置して、「ここは魅力的だぞ」と思わせるチームを作って、そこに才能豊かな描き手が集まってくる。そうした描き手をきちんと育て、一人前の作家になってもらい、ヒット作を出す。このルーティンさえ破らなければ、このゲームは絶対に負けない。なのに「少年サンデー」編集部は新人育成から遠ざかっていこうとする。これじゃ勝てないよ、と。
――それが先ほど述べた“編集部のアラ”ですか?
市原 そうです。だから、すごい危機感を抱いていました。
――「少年サンデー」の場合、売上を支える大看板と、雑誌の“良心”ともいえる部分を担う作家が両方とも揃っていました。高橋留美子先生、あだち充先生、青山剛昌先生などなど。それでも「勝てない」と。
市原 はい。それだけ新人育成は大事です。恒久的に強力な漫画ブランドでいるためには正しい新陳代謝が不可欠だからです。だけど、入社2年目の若手の言うことなんか誰も聞いてくれません。実績がないから、どれだけ正しいことを言っても「そんなことより仕事しろよ」と言われてしまう。だから早く発言力を手に入れたかった。発言力というか、実力ですね。自分自身を鍛えていかなきゃいけない。そうしている間にも「少年サンデー」はどんどん凋落していく。本当にもどかしい時期でした。
それでも入社6年目の28歳の頃には「少年サンデー」のエース編集者と呼ばれるようになり、上層部からは「新人育成のエキスパート」と認めていただけるようになりました。